東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第1章 勝つイメージを作れ

■ゴールは何か―明確なメッセージの発信

ウォリアーズに新しい指導者を招聘するにあたり、私たちは「勝てばいい」という姿勢の人には来てほしくないと考えていました。

学生スポーツはあくまでも人間教育の場であり、卒業後社会で活躍できる人材を輩出することがウォリアーズの伝統です。そのため部活の安全対策にも高いプライオリティを置いてきました。

そんな私たちにとって森清之は正にうってつけの人物でした。彼自身の素晴らしい人柄もさることながら、フットボールの魅力を教えつつ人間としても成長させていくという指導スタイルはフットボール界では知れ渡っていました。しかし彼が勝利よりもプロセスを重視するかというと、実は真逆のスタイルだったのです。彼は学生に対し、勝ちにこだわること、執念を持つことを徹底して説いたのです。

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試合前に整列する選手たち

■勝利にこだわれ

 スポーツの究極のゴールは一定のルールの中で相手に勝利することであり、スポーツをやる以上、勝利に向って本気であらゆる努力をする、その本気の過程ではじめてスポーツの醍醐味を味わうことができる。このプロセスにこそ人間教育があるというのが森の考えです。フットボールを極めた彼なりの確信なのでしょう。

森は「試合に勝つことが俺たちのゴールだ」と明確に部員に伝えます。10対9の勝利でも42対0の勝利でもその価値は同じだと言います。だから「勝ちにつながる練習」をすることを学生に求め、「練習のための練習はするな」と言います。

ある時、屈指の強豪校である法政大学との練習試合後のハドル(フィールド上でチームが集まり作戦などをシェアする場)で森は学生たちにこう言いました。

「今の力で法政に負けるのは仕方がない。失敗をしてしまうのもいい。だけど相手が強いからと言ってひるんでいては、どんなに頑張っても彼らのレベルには到達できないぞ。

まだお前たちは負けて当然と思っていないか?そうではなく『勝ちたい』と本気で思え。そして法政に勝つイメージを自分の中で作れ。そうすることで、勝つためにどんな力が必要か自分で描けるようになるだろう。

そこで初めて自分が到達すべきレベルのイメージがクリアになる。そして、どんな練習をしてどれだけ強くならなければならないかが分かってくる。それがイメージできたら、自分をそこまで高める練習をしろ。ただ単に『今より向上しよう』というのは《あがき》であって練習ではない」と。

森が伝えようとしているのは単にフィールド上での練習のことだけではなく、単なる精神論でもありません。

彼の言う「本気」には、体作り、栄養・食事管理、体調管理、休養の取り方、精神状態の管理、知識・情報の取得などすべての要素が含まれています。

本気で勝とうと思ったら、やみくもに汗を流して頑張るのではなく、計画的、戦略的に練習を組み立てるべきです。時間は限られています。どれだけ効率的に自分を進化させるか、これが勝負となります。それを実現するのが練習です。このことをどれだけ執念深く追えるかで結果が変わってくるというのが森の教えです。

スポーツをやる本当の醍醐味は、本気で勝ちに行くプロセスの中にあります。本気で勝とうと思ったら、現在の自分たちの状況を客観的にアセスするとともに、あらゆる工夫を限られた時間の中でやろうとするはずです。いたずらに疲れ果てる練習をやったって勝てません。勝とうと必死に考えるプロセスの中で戦略が生まれ、克己心が育ち、自律的なメンタリティと、互いに高めあうチームワークも生まれます。これこそがスポーツを通じ人が育成される理由なのでしょう。

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試合後のハドルで選手たちに話しかける森HC

■「がんばってる」を見せればよいのか?

大学に限らず、日本のアマチュアスポーツにはいまだに「倒れるまでの練習」を美化する傾向があります。千本ノックや繰り返しの素振りなど、それ自体否定はしませんが、苦しむことが目的になってしまっていると考えられる練習が数多くあります。

日本のスポーツ文化にはすごく勝ちに執着するところがあります。トーナメント方式が好まれるのもこういった文化的背景があるのかも知れません。

同時に、「勝ち」という結果に強くこだわることの裏返しでしょうか、やみくもに無理をしてがんばり、へとへとになるまで練習をしていないと「よくやった」と認められない傾向があります。

これは周囲の目もそうですし、選手自身も自分たちに対する言い訳に使っているところがあります。

プロ野球選手の桑田真澄さんは、日本の野球界では、特に若年層への指導で故障を誘発させる危険性のある方法がいまだに主流だと従前より警鐘を鳴らしています。

日本の高校野球の選手は痩せすぎている。休養も含めたきちんとした指導がなされていればもっとアスリートらしい体形になるはずとも言っています。最近では元DeNAベイスターズ筒香選手も同様のメッセージを発信しています。

大リーグに行った日本の一流投手たちが次々と肘の故障を発生させ手術を受けているのも、高校時代の酷使が遠因ではないのかと言われています。

以前、ある高校野球強豪校の指導者の話を聞いたことがあります。

「全国優勝をした年に、暮と正月に練習の休みを入れた。ところが翌年全国大会出場を逃すと今度はこの休養が批判されてしまった」というのです。

何をか言わんやです。

桑田さんは同時に、「どうやったら勝てるか」の指導がなされていないことも指摘しています。

「高校時代、監督や上級生からよく殴られたが、殴られてもひとつもうまくならないのに何で殴られなければならないのかと思った」と言います。

また、これもよく発言されていますが、内野手、たとえば遊撃手がサード寄りのゴロを捕る時、正面で捕りに行くべきか、バックハンドでさばくべきかという質問に対するコメントです。

「どちらでなければならないということはないが、遊撃手の目的は打者ランナーをアウトにすること。正面で捕ることは目的ではないはず。バックハンドが必要なときはバックハンドが答え」と。

筆者も昔高校野球をやっていましたが、多くの年配野球人がこれを聞けばなるほどとうなるかもしれません。

この話の背景には根強いプロセス主義があります。勝った負けたに執着するあまり、本気で勝ちにいくことを忘れ、負けても批判されない道を選んでしまうという皮肉な結末です。

何がゴールか、何が大切か、一貫した教育を受けていない我ら昭和の野球人は、自分の右にゴロが来ると、瞬間的かつ本能的に、「バックハンドで捕りに行ってもしミスると叱られる。正面から捕りにいけば遅れてセーフになっても『よくやった』ということにしてくれる」と考えてしまうのではないでしょうか。

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試合中にQB伊藤と話す森HC

■リーダーが示すべきゴール

 これと同じ風土が日本の会社の中に根強くあるのを私はいろんなところで見てきました。スポーツの場面も会社の仕事の場面も、結局はその国の文化を色濃く反映するのでしょう。

働き方改革が叫ばれていますが、まだ実質的な改善を体感している社員は少ないのではないでしょうか?

さすがに千本ノックの風土は少なくなってきていますが、何のために仕事をしているのか、どこまでやればいいのか、仕事の内容やゴールそのものについて混乱している会社が多く、結局これが原因となって長時間労働が直らず常態化してしまうわけです。

働き方の前にこの部分を改善しなければ結局ワークライフバランスも絵にかいた餅になります。

現場レベルでどう改善すべきかについては後程お話しますが、まず必要なのは、おおもとである経営レベルが会社のゴールやそこに向かっていく道程をきちんと示すことです。

これが「働き方」に総称されている会社の現場の問題を解決する出発点です。

成長は会社の宿命で、どの会社にも成長を果たすための事業計画があるはずです。それがブレークダウンされていて、それぞれの部署でのゴールがそこの社員にシェアされていて、最後はひとりひとりのアサイメントがはっきりしている状態になればしめたものです。

しかしそうでない会社が多いのです。

 〈いつまでにどんな姿になろうとしているか〉

おそらく経営者はこれを明確に持っていると主張するでしょう。

しかし、正直なところ、その計画の立て方には不十分な、中には稚拙な内容のものが多いのが現実です。

一定の形になっていたとしても、これまでの経験と勘を頼りに「エイヤッ!」で決めているケースをよくみかけます。

本当の本気でビジネスのゴールを目指すのであれば、限られた時間でどうやってそこに行くかを考えるはず。

そのゴールではどんなビジネスが展開されているか?

そのビジネス展開に必要なリソースは何か?

技術か?

人材か?

資金か?

次に、翻って今手元にリソースはどれだけあるかを考える。

リソースの取得とその配分は経営者が最も責任を持たなければならない仕事です。

また、いつまでにそこに行こうとしている計画なのか?

時間は?

時間はこの世で最も限られたリソースです。ゴールに行くための時間を限った時、それによっても必要な他のリソースの種類や量は変わってきます。

そして、それらは手に入るのか?

リソースの Availability (可能性)とその配分に裏打ちされていない計画は計画とは言えません。

結果、現場の社員の汗と時間外労働に頼ることになってしまいます。

そして追い詰められた社員は「一生懸命やっている」ことをアピールすることで身を守ろうとしてしまうでしょう。それは打者ランナーをアウトにするためにではなく、体勢や状況に関係なく怒られないために正面で捕球することを選ぶのと似ています。

企業は納得感のある範囲で最も背伸びをしたゴールを作り、それを最も効率的に達成した時に「エクサレントカンパニー」となります。

そのプロセスを経験した社員も同時に成長し、その市場価値も高まり、社員の総和としての企業価値も高まります。

経営者と社員がヘトヘトになるまで働くことは、本当はどの関係者も望んではいません。

一方で事業計画は必ずしも計画どおり進むとは限りません。むしろ修正する場合の方が多いでしょう。でも最初の計画が実質のあるものであるならば、修正しなければならない理由も明確に認められ、修正の方向も自ずとわかるものです。

最初にいい加減な計画しか持たず、案の定これではだめだと気付き、あわてて変更しようとする。でも何から始まって何をどう変更するのか、この時点ではますますわからなく、カオスになり、働き方改革どころではなくなるというのがオチです。

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■最初に着手したこと

 一流チームの指導者を歴任してきただけに、森はウォリアーズに来てまずはチームの甘い心構えを徹底的に直そうとするのだろうとみんな身構えていました。

その指導の厳しさは漏れ聞こえてきていました。

ところが彼が最初に着手したのは心技体のうち、心ではなく体と技、その中でも特に体だったのです。

このメッセージは最初の2年間は徹底して発信されました。

そして、今もチームのフィロソフィのベースとなっています。

スポーツ選手はよく「気持ちで頑張る」と言います。でもスポーツの基本である体と技が無ければ、いくら精神論を言っても強い相手には絶対勝てません。

森は「スポーツに必要な『心』とは、自分が今持つ能力を試合で最大限に発揮できる精神力だ」と考えます。

体技がそろっていないのに「勝とう!」と言っても森のスタンダードで言えばそれは本気で勝とうというメッセージにはなっていないということなのです。

「ウォリアーズに必要なのは心技体ではなく体技心だ」と森は何度も何度も繰り返しました。

次章(第2章「心技体」ではなく「体技心」)で森という指導者を得たウォリアーズが、どのような体作りの環境を整えていったのかをご紹介します。

 

楊 暁達さん(2018年度主将) コメント

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2017年度からウォリアーズが新体制となり、三沢英生さんが監督に、森清之さんがヘッドコーチに就任されました。私が3年生になった時です。

新しい指導者がどうやってウォリアーズを強くしようとしているのか、どんな考え方が示されるのか、皆興味津々で待っていました。しかし最初に出てきたのは意外な言葉でした。

それは『フットボールを通じた人間の成長』だったのです。

フットボールの技術が多少上手かろうが運動神経が良かろうが卒業後のはるかに長い人生においてそれは役には立たない。そんな事のために貴重な学生生活を費やすのではない。人間として成長するためにフットボールをやるのだ。そしてその『成長』とはこの先10年20年たった後に実感するであろう、『成ってみて』初めて分かるものだ。」

しかし、話の核心は次の言葉にありました。

「でも、この『成長』は、フットボールで本気で勝利・日本一を目指す中ではじめて得られるものだ。だからこそこの4年間は皆本気でやるんだ」

というメッセージだったのです。

私自身は、お二人の淡々とした語り口とその悟性に不思議な説得力を感じたのを覚えています。

新体制の2年目、2018年度シーズンに私は4年生で主将となり、ウォリアーズの学生たちをひとつにまとめていく役割になりました。どうすれば全員が本気で勝つことを考えるチームになれるか、最初のころは答えを見つけるのに苦労しました。『成長』が一番大切なことは分かっていても、学生たちは『成長のために日本一を目指して練習する!』なんて都合良く思うはずがありません。しかも、練習で手応えを得たところで、まだ当時BIG8(1部下位リーグ)にいた私たちには実質的な日本一は叶わないのです。学生が心から『日本一になりたい』と思えるようなモチベーションを作ることがどうしても必要でした。

どうすればいいのか、どうやって本気で日本一を獲ると思えるようなチームにして、それを後輩たちにも伝えていくべきなのか、私は森さんと話し合いました。

森さんからのメッセージはとてもクリアでした。

「小さなことからで良い。前まで出来なかったプレーができるようになった。ウエイトが上がった。理解が深くなった。そんなことを大事にして積み上げていくところから始めよう。」

「こういった小さな進歩はそれ自体単純に楽しいことのはずだ。そんなことを自発的に、自立的に繰り返す。そして少しでもレベルが上がったことを感じる。これをずっと続け、このサイクルを自分で律することのできるチームにしよう。」

これらはとても現実的でしかも実際に強くなっていく道程がイメージできる言葉でした。私はこの意識をチームメンバー、そして後輩たちに持たせていくことが4年生の使命であると感じました。

そして森さんの言葉通り、選手もスタッフも成長してチームの水準が上がっていく過程を目の当たりにし、それを身をもって感じたのです。ひとつひとつは小さなことだったかも知れないが、少し上手になった喜びを頼りに進んでいけば、気が付くと前とは全く違う自分に『成っていた』、特に下級生たちの多くがそう感じることができたお陰でTOP8へのリーグ昇格があったと思います。

私たちはそれまで頭を使いすぎていたのかもしれません。大事なのは『未知』の領域にあまり考えずに勇気を持って突っ込んでいくこと、これを森さんが教えてくれた気がします。取り組みの過程は合理的に考えるべきだが、とにかく初めの一歩で『未知』に踏み出す勇気と気概が大切なのだと。

この3年間の新しい動きは、ウォリアーズにとってまだほんの始まりだと思います。4年間でメンバーが入れ替わる大学スポーツの宿命の中でどうやってこの文化を根付かせていくか、まだまだチャレンジがあります。でもこのフィロソフィを大事に持ち続けていけば、卒業何十年か後に『成長していた自分』を発見するウォリアーズOBOGが沢山出てくるに違いないと、今は心から信じています。

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TOP8昇格が決まり観客に報告する楊さん