東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第2章 「心技体」ではなく「体技心」

■ウォリアーズの強み

「ウォリアーズに必要なのは心技体ではなく体技心だ」とヘッドコーチに就任した森清之は何度も何度も繰り返しました。

ウォリアーズは素人集団です。他の強豪校の経験者、特にスポーツ推薦で入学してくるような一流選手に比べればスタートラインが違います。まずはこのハンデを短期間に埋めないと相手にすらならないのです。

各種スポーツ用品、スポーツサプリメントの製造・販売を手がけるドーム社の力強い支援も得て、ウォリアーズは体作りの環境構築に全力で取り掛かりました。

森が考える東大の強みにいくつかありますが、彼が最も大きいと考えるのが学生の自律の能力です。

子供のころから受験を乗り越え結果を出してきたのは、各々が目標に向かい自分の行動を律する力が強いからだという分析です。 

また東大生の特性として、自分の頭で一度ロジカルに納得できた時、目標に向かう持続力があることも強みだと考えました。

この自律心に訴え、まずは東大の最大のハンデである「体」の差を最大限効率的に縮めようとしたわけです。

選手には一流のトレーニングコーチが付き、一流の施設での体作りが始まりました。各選手個別のメニューが与えられその進捗が週ごとに管理されます。コーチからは筋力トレーニングの意味と効果が説明され、そして科学的な裏付けのある目標値が示されます。スポーツ栄養士からは体力づくりのための食事内容について詳細なインストラクションがあり、個々の食事内容も報告が義務付けられ管理されます。

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これらの活動をベースで支えるのがスポーツドクターと学生を中心としたトレーナーチームによる専門的なサポートです。ケガの防止活動とともに、万が一ケガをした後のリハビリ計画も明示し選手と相談しながら進めるようになりました。

これらの活動は実を結び、選手の体は見る見る厚く、太くなっていきました。しかしこれだけではまだ一流チームには追い付けません。大きくなった体をフットボールの場面でどうやって自由自在に動かすか、“agility” (敏捷性)のトレーニングにも力を入れ、これにも専門のトレーナーが当たっています。

選手たちはそれこそ「吐きながら食べる」くらいの意気込みでこの体作りに励んでいますが、これら一連の活動やその結果はすべてロジックと数値で表されるため、これが拠り所であり励みとなっています。

この一連のコミュニケーションを通じて、森は学生に自分たちの強みを自覚しろと教えてきたと思います。そして同時にその強みを最大限に活かし相手に勝る(差別化する)術も教えています。

よく、「フットボールは頭を使うスポーツだから東大に向いている。だから東大も強くなった。」という声を聴きます。

確かに一流のフットボール選手には情報管理力、分析力、理解力、記憶力が要求され、チームプレーでの個々の役割と全体ストラクチャーの理解にも長けていなければいけません。

しかし、強豪校の一流プレーヤーは6年、長い選手は10年もフットボールを経験して大学に来ます。彼らの頭の中はすでにフットボール用に出来ているといっても過言でないほど、知識、理解、瞬間的判断に優れています。これを単に数年の猛勉強で追いつこうとしてもそれは難しい業です。

ここを森はアメリカンフットボール部全体のチームワークを使いその差を埋めようとしています。

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ウォリアーズには2019年度のシーズンで190名の部員が在籍していました。その内訳は選手140名、サポート部隊50名です。この50名のうち17名をSA(Student Assistant)と呼ばれる戦略・作戦担当に当てました。

彼ら自身も多くは高校までは未経験者ですが、連日数時間に及ぶ分析作業やミーティングを通じ、森の薫陶を受けながら急速に成長し、今やヘッドコーチを支えるチームの頭脳として機能するようになりました。

SAを束ねる2名のキーポジション、オフェンスコーディネーター(Offensive Coordinator)ディフェンスコーディネーター(Defensive Coordinator) も学生が勤めます。

ここでも森は東大生の気質や強みを掴み最大限に発揮させています。

SAの仕事は、情報の理解力や分析力もさることながら、長時間の画像分析の積み上げや相手チームのスカウティングなど、労力と胆力が必要とされる仕事です。そして他方では試合になると秒単位での判断で最適解を選び選手に指示を出す冷静さが求められることになります。後程また述べますが、森はSA も含めてサポートチームを見事にオーガナイズし、チーム全体に血脈が流れる部隊を作りました。

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強いチームになるために何が必要なのか?

必要なものは沢山あり、もちろんすべてを揃える努力は続ける。

でも単に強くなることは本当のゴールではない。

スポーツチームのゴールは「相手を倒すこと」なのだから、ウォリアーズとしての特徴を出し、強みを活かし、まずはトータルで相手を少しでも上回ることにより勝ちを狙う。

ウォリアーズは多くのハンデを背負いながら強豪校に立ち向かう。

もしわれわれが相手を上回れるとすればそれは総合力のはずだ。

でも肝心の「体」がなければすべての土台は崩れ、総合力を発揮するどころではなくなる。

これが森のフィロソフィであり、彼はそれを学生たちの指導の中で身をもって教えています。

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スターバックスの強み

企業がブランドを形成し成長をしていこうとするとき、競合との関係においていかに自分の強みを理解し、大事にし、それを高めていこうとするかがとても大切な要素となります。まさに経営者が経営者としての機能を果たす上での関門のような部分だと思います。

前述のように、ハワード・シュルツとの出会いは私のビジネスパーソン人生に大きなインパクトを与えました。

彼には沢山の教えを受けましたが、その中でも自分のブランド、強みに対する深い理解とそのコミュニケーション、そしてその価値を守ろうとする強い意志は今でも自分の体にしみこんでいます。

ハワード・シュルツはコーヒー豆の専門店だったスターバックスを買収し、カフェチェーンのリーディングカンパニーに育て上げました。現在のスターバックスの創業者です。 

彼はスターバックスの価値は何なのか、それをどうやってお客様に伝えるのかについて、明確で分かりやすいコンセプトにして何度も何度も会社の内外で発信しています。

スターバックスの店舗に入るとコーヒーの良い香りが体を包む。こんにちは!の声と一緒にBGMの粋なジャズの音色が耳に入ります。シュッというスチーマーの音、店員の笑顔、この空間を味合うことこそが顧客にとってのスターバックスの価値なのです。

ハワードはこれを「スターバックス体験(Starbucks Experience)」と名付け、これがスターバックスの価値、スターバックスが顧客に提供する商品の中核だと説きます。

同時にハワードは「スターバックスは顧客にとってのサードプレース(Third Place)になるのだ」と教えます。

ファーストプレースは自分の家。セカンドプレースが社会で自分が属している場所。学校だったり会社だったり。そしてスターバックスは顧客にとって3番目の場所。ほっとした気持ちになって自分を取り戻せる場所、それがスターバックスであり、顧客価値なのです。テイクアウトされたカップにも顧客はこのイメージをダブらせているはずです。

顧客にとっての価値であるこの空間は、すべて店舗の社員が演出します。舞台装置はあるけど、この空間の雰囲気は「人」がいて初めて演出できるものなのです。

ハワードのもうひとつの言葉に、One cup at a time, one customer at a time (一杯ずつ、お一人ずつ)というフレーズがあります。

これは、スターバックスがどうやってそのブランド価値を築き上げていくかのプロセスを表現しています。

顧客がお店に来てくれたその機会に、一杯のコーヒーを提供するその瞬間に顧客はスターバックスの価値に触れる。これを積み重ねて初めてブランドが確立する。一回でもがっかりすることがあればあっと言う間に崩れてしまいます。

「だからスターバックスはコーヒービジネスではなくピープルビジネスなんだ」という信念をハワードは持っています。

ただ、社員がこのブランドの価値を信じプライドをもっていない限り、こんな顧客価値を何千店舗のオペレーションで維持することはできません。

そのために彼はこのスターバックスの価値を何度も何度も繰り返して社員に伝えると同時に、社員と経営の信頼関係を高めるための努力を惜しみませんでした。

今でもスターバックスの店舗に行くととても良い空気が維持されています。店員の笑顔、顧客との会話。スターバックスOBとしてうれしいことです。

きっととても良い経営が維持されていて、お店で働く人たちにも反映され、それがいい空気を作っているのだと思います。

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ハワード・シュルツのフィロソフィ

ハワードの顧客価値への思い入れを示すのがノースモーキングのポリシーです。

スターバックスアメリカでチェーン展開を始めたのが1980年代後半で、アメリカといえどもまだ禁煙がスタンダードではない時代でした。

でも彼は頑なにこれを貫きます。彼の信じるサードプレースの価値が喫煙により台無しになると考えたからです。

このポリシーのために、1986年の日本進出のときにはちょっとした事件があったようです。銀座松屋店が第一号でした。まだ私が参加する前のこと。

当時日本にはまだ根強い喫茶店文化があり、喫茶店は全国に3万店舗以上ありました。おそらくほとんどすべてが喫煙可だったと思われます。当時の喫煙率は男性で50%、女性で15%ありました。言わば世の中は「喫茶店とはタバコを一服するところ」との認識だったわけです。

スターバックス第一号店を出す時にもかなりの議論になったそうです。いかにスターバックスと言ってもタバコが吸えないと客は来ないのではと懸念されました。結論として2階を喫煙、1階を禁煙の分煙という妥協案にしました。

これはハワードには内緒で進めたため、オープニングセレモニーのため来日したハワードは激怒します。そこを何とかなだめてオープンしたのですが、2階で喫煙が始まるとその臭いや煙が下に降りてきてコーヒーの香りを消してしまいます。そして消えたのは香りだけでなく、スターバックスの空気そのものだったのです。この後この店舗は時間をかけて禁煙とし、その後全店舗禁煙となり今日に至っています。

私自身、この逸話は日本の創業メンバーやハワード自身からも何度も聞かされました。それほどスターバックスの価値を考える上で大きな出来事だったのです。

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(次章 第3章 法人の設立 に続く。)

 

コメント

有馬 真人さん

2017年度~2019年度 ディフェンス・コーディネーター(Defensive Coordinator)

f:id:tokyowarriors:20200204142300j:plain 森さんがヘッドコーチに就任する前からウォリアーズの学生たちは少しでも強くなろうと必死でがんばっていましたし、森さんもそのことは高く評価してくれていたと思います。

そんな私たちの努力が報われるものとするための答えを森さんがくれました。それは「勝利に必要な要素を理解し、他のチームとの差を分析し、それを4年間という短いスパンの中で埋めるための具体的な方法を考え出し、高い水準でそれにコミットしていく姿勢」です。

ただし、森さんに言わせれば、こんなことは強いチームはどこだってやっているということになります。だからこそ、このプロセスをどれだけのレベルで突き詰めていくことができるかが一流のチームかどうかの分かれ目になります。「平凡なことをいかに非凡に積み重ねることができるか」、これが森さんの一番の教えです。

フィジカル強化も以前から部全体で力を入れてきました。しかし森さんが求めたのは「日本一になるためのフィジカルのレベルを目指す」ことでした。単に今までより強くなればいいというのではありません。

日本一になるためのレベルを意識して、それに向かうためのトレーニング計画を立て、着実にそれに向かっていく。この意識を継続することは簡単ではありませんでした。でも、この期間内に何kgの重さが上がるようになった、体重が何kgになったなど、具体的な数値に落とし込んでいくことで、学生たちは相手との力関係をより正確にイメージできるようになり、4年間で追いつけるかもしれないという実感も得られるようになってきたのです。 

成果としても昔の3・4年生が上げていた重量を今や1年生が上げ始め、体重もポジションによっては平均で10〜15kgほど増えてきました。

こういう意識の持ち方は、フィジカルトレーニングだけでなく、日々の練習や技術の向上、戦術・戦略作りの中にも浸透していきます。

こうして具体的な違いを日々感じるようになってきたものの、「でも僕たち東大が本当にそんなに強くなれるんだろうか」という思いは続きます。フットボール経験やフィジカルな基礎能力、練習に費やせる時間、どれを取っても強豪校に比べハンディキャップを持っているからです。

森さんはこういった私たちの気持を理解した上で私たちにこう言います。

「東大生の最大の強みは、受験で日本一高い水準に挑み、成功体験を得ていることだ。受験の時のことをよく思い出してほしい。時間を有効に使って、一つ一つの参考書や授業を中途半端にすることなく仕上げ切っていたはず。それを積み重ね知識を身につけることで受験という分野で日本一に辿り着いたはずだ。その成功体験は必ずアメリカンフットボールに応用できる。そうすれば『日本一質の高い練習』も実現できる。」

言葉だけでなく、森さんはこのプロセスを自ら示してくれました。当初、「日本一に」と言葉では言うものの私たちにそれがどんなレベルか実感することができなかったのですが、これに対し森さんが示したのはとても地道でかつ徹底した分析と思考のプロセスでした。 

練習や試合のビデオは以前からしっかり撮る習慣となっていましたが、森さんは我々コーチやSAと一緒に20秒にも満たない一つの動画を10分、20分かけて反省していくという徹底ぶりでコミュニケーションを重ね、スキルの一つ一つの動作、作戦における11人それぞれの正確な位置や動き、細かなルールなどフットボールの様々な要素を理解させ、そのディティールを選手たちに伝播させていったのです。これにより、まだ発展途上ではあるものの、チームのスタンダードは飛躍的に向上してきました。

私自身、毎日のミーティングを通して「日本一のコーチ」のもとで「日本一の水準」を肌で感じることができたこの経験が、自分の最大の財産だと思っています。他の大学が普通にやっていることに普通じゃないレベルで取り組む、つまり「平凡なことを非凡に積み重ねる」ことで、普通に考えたら不可能な「東大がスポーツで日本一」という目標に挑む。これを目指すプロセスを経験できることがウォリアーズのカルチャーであり一番の魅力だと思います。

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