東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第10章 トップと現場

■プロの指導者としての森清

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ウォリアーズの歴史で、森は初めてプロのフルタイムのヘッドコーチとなりました。

 

日本のフットボール界でも、プロあるいはプロと同様の扱いを受けている指導者は多くなりました。Xリーグの指導者はプロか、あるいはチームを持つ会社の社員として働き、私立強豪校の場合も多くは大学の経営がコミットし、教員や職員の形で雇用しており、現実はプロの扱いを受けている場合が多いと言えます。

 

大学スポーツの指導者であっても、ビジネスパーソンと同じで、プロとしての雇用が成り立つためには、雇う側と雇われる側の間で契約を交わし、雇われる側が活躍できるための報酬や環境、評価の仕組みを約束事として交わすことが大切です。

 

プロ意識の高い指導者ほど、自分の責任や期待されるアウトプット、そして評価の基準を具体的に確認したいと考えるだろうし、そのアウトプットを出すために、雇う側に対し、活動環境への投資を要求するのも当然です。一方で雇う側から言っても、投資に見合うリターンが出るよう、指導者との意思疎通に努めるとともに、活動しやすい環境をアレンジしようとするのが自然です。

 

しかし現在、国公立大学や一般の私立大学では、このようなプロの指導者はいまだ稀で、大学の教員や他で仕事を持つ人が、少しずつ時間を割きながら面倒を見ているという場合がほとんどです。

 

ウォリアーズもこれまでは主にOBが指導者となりボランティアベースで、忙しい中、献身的に学生を支え指導してきたという歴史でした。指導者の選抜も実際には、「後輩のために」と考えるOBがまずはボランティアとして手を挙げ、これをOBOG会がエンドースするという形で行われてきています。その結果、現場の指導方針策定やその実行は基本的にこの指導者に任され、OBOG会は少し離れながらその指導者の活動を物心共にサポートしていくという文化でした。

 

こんな歴史と文化の中に、突然、他大学出身の「森清之」という大物がプロとして登場したわけで、1,000名を超えるOBOG会員も、新しい動きに期待しながらも、プロの指導者として位置づけや、「雇う側」としての関わり方などについて明確な理解やコンセンサスがあったわけではありません。

 

結果として、プロとしての森の位置づけは実際のところ曖昧なものになっていました。フルタイムで給与が支払われているという意味ではこれまでとは違うものの、OBOG会は、これまでと同じプロセスで森の地位をエンドースしており、少し離れたところから現場の活動を支援しているという形のままでした。

 

そんな、ある意味「いびつな」関係にありながら森がここまで機能し、早くも目に見える成果を出しているのは、森自身が本質的なところでプロとしての高い意識を持ち、また組織人としての責任感も強く、権利を主張する前に、まずは与えられた環境の中で期待に応えるべく最大限の努力をするという姿勢を貫いてきてくれたからです。またこれに呼応して、限られた一部OBが森の姿勢を意気に感じて、新体制を築くための努力を続けてきたことも大きな支えになりました。

 

幸い当初から森と私たちは、大学の運動部を指導する上で、同じ価値観を共有していました。大事にしたいのは、人間的成長をもたらすこと、安全第一で進めること、学生の将来に資すること、そしてスポーツをやる以上本気で勝ちにこだわることです。スタートラインはきっちりと共有できていたのです。

 

しかし、まだ「指導者と雇用者」としてのプロフェッショナルな関係が完成しているわけではありません。

 

私たちが新体制として組み立てた構造は、法人がステークホルダー(OBOG会、ファミリークラブ、ファンクラブ)の信任を受け、その意を呈し、代表して森と契約を結びその関係を律していくという形です。

 

しかしながら、新体制が一部の人たちの強力なリーダーシップの下で短期間に作られたこともあり、未だステークホルダー側の「意」がひとつになっていない現実があります。制度上は、法人の社員(企業の株主/取締役に相当)17名が3つのステークホルダーを代表しており、彼らが私たち理事を管理監督しているわけで、この17名の「意」がステークホルダーのそれということにはなるのですが、現実はまだそのレベルに至ってはいません。

 

そもそも、森のようなスーパースターを私たちがマネジメントできるのかという声もありますが、私はそうではないと考えています。

 

この関係には、企業のマネジメントレベルの構造と類似性があります。企業において、ある分野のスーパースターがひとつの会社や事業ユニットを「現場トップ」として任され、それを管理し関係を律するのが親会社の「経営トップ」だったとします。この場合、経営トップは必ずしも当該分野の専門家である必要はありません。経営トップとって大事なのは、現場トップと経営者同士のコミュニケーションを積み重ね、信頼関係を作り、現場トップが力を発揮しやすい環境を用意するとともに、最終的なアウトプットイメージとその評価方法をきちんと両者でシェアすることです。この関係があれば経営トップは現場についての詳細な知識を持つ必要はなく、むしろ現場の問題を現場トップの判断に委ねることで、より高いレベルの経営を実現することができます。

 

このような経営トップと現場トップの関係を森との間で、さらに作りこんでいくことが今の私の大切なミッションです。ウォリアーズ史上初めてのケースとして、また大学スポーツでの新しい体制にトライするという意味でも、早く答えを見つけ出したいと日々自分自身の中で格闘しています。そしてこの答えを見つけることは、結局のところ、稀代のフットボール指導者である森のポテンシャルを100%花開かせることにつながるとも考えています。

 

■OBOG会との関係

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一方で、法人はOBOG会、ファミリークラブ、ファンクラブといった支持者と良好で生産的な関係も構築していかなければなりません。

 

UNIVAS(大学スポーツ協会:「第5章 運動部は誰のもの?」参照)のビジョンが実現し日本版NCAAの時代でもやってこない限り、日本の大学の運動部はこういった関係者たちによってその地盤を支えられていくからです。

 

先ほどの「経営トップ、現場トップ」例になぞらえれば、この支持者たちは言わば「株主」の立場にあるということになると思います。「経営トップ」である法人が「株主」である支持者の意を受け、良好なコミュニケーションを維持しながら、「現場/事業会社トップ」である森のパフォーマンスを最大・最適化していく、この仕組み作りをすることが法人のミッションです。

 

この支持者の地盤の中でもOBOG会は最も大きな存在です。部の歴史を作り、現役世代を皆でサポートする文化を構築するのもOBOG会です。この特有の文化や仕組みは、これからも少なくとも相当な期間、日本の大学スポーツを支えるためには不可欠です。

 

ウォリアーズにおいても事情は同じで、このOBOG会と現場、そして法人の3者の関係をどう生産的なものにするか、3者にとってwin-winの関係をどう構築するか、これにも日々格闘が続いています。

 

「第5章 運動部は誰のもの?」でも述べましたが、どこの運動部でもOBOGから現役への応援には熱いものがあり、試合を見ている時には特別に熱がこもってきます。

 

運動部のOBOGにとってその競技は青春の1ページにとどまらない、人生における自分のアイデンティティみたいなもので、それだからこそ自分のチームが負ければとても悔しいし、自分自身が否定された気にすらなります。

 

その上大体において、見ているうちに自分の方がうまかったと錯覚してしまうことが多く、後輩の失敗を見るともどかしくて仕方ない気持ちになってきます。

 

試合後は同年代で飲み会に行き、ああでもないこうでもない、ひとつひとつのプレーや選手ひとりひとりの力、ひいてはヘッドコーチや監督の采配、選手の育て方にまで話題が及びます。

 

こんな風に騒ぐことでOBOGは明日へのエネルギーを得ているし、このエネルギーが物心両面での後輩へのサポートを生み出しています。現役から見るとありがたい話です。

 

しかし、このエネルギーが一線を越え始めると、現役の活動にとって逆効果になります。戦績について監督への批判の声が上がったり、生産的でない議論が繰り返されたり、時にはOBOG同士のいさかいが起きることさえあります。

 

その中でも最も避けなければならないのが、長期的なチーム作りが邪魔されることです。

 

スポーツなので勝敗の結果や個別のプレーを批評することは容易です。しかし、大学の現場指導者を評価する場合、まずは活動の大前提であるべき人間教育や安全管理、部活動のガバナンスについてのパフォーマンスをしっかりと評価すべきです。

 

そして、勝敗の結果だけを議論するのではなく、部活動のほとんどを占める練習やミーティングをどのように展開してきたか、そのパフォーマンスについて議論しフェアな評価をするべきです。現場は現実的な制約の中で、妥協もして、限られた時間の中で最大限効率的に動こうとするし、また勝負事なので相手が今年強いか弱いかにも影響を受けます。そもそも勝つために、指導者として十分な活動環境が与えられていたかについても斟酌されるべきです。

 

森の姿勢は一貫しています。批判に対しても常にオープンに謙虚に耳を傾け、それに対して自分の意見もはっきりと述べ、かつ現実の制約も理解した上で最適解を求めることのできる人物です。私はむしろ我々評価・支援側が早くこのようなプロフェッショナルなステージに立たなければならないと思っています。

 

そのためには、ウォリアーズの新体制を早く完成し有効に機能させていくことが不可欠です。ウォリアーズと法人、そして支持者がチームのゴールとその道程についてコンセンサスを持ち、全員で現場をサポートしているシーンを見たいものです。ウォリアーズ愛ではすでに皆一致しています。あとは新しい体制の中で、いかに相互に有効に機能し合い、自分たち自身へのガバナンスを利かせていくことができるかです。

 

そして、こうした先にいつの日か「日本一」があると信じています。森のおかげで今は皆本気です。時間はかかると実感しています。まだまだ先になるかもしれない。だからこそ私たちは1日たりとも努力を緩めることはできないのです。

 

■トップと現場 ― 企業での課題

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さて、企業経営においても、経営トップと現場トップとの関係に課題を抱える例をいくつも目にしてきました。

 

経営トップがよく現場にフラッと現れる会社があります。これは社風としてはとてもいいことです。そこで社員とのフランクなコミュニケーションが期待できるからです。しかし、そこで直接社員から不満を聞いたトップが、これを持ち帰り、現場トップを呼びつけ「何やってんだ!」と言ってしまったらおしまいです。

 

同様に、現場のことをよく知っているトップが、現場のオペレーションの中で良くないプラクティスを見つけます。そこでトップが直接現場の社員を叱責しその場で具体的な修正を指示することがありますが、これもかなり危ない行動です。

 

優秀な創業者が、ゼロからスタートした事業を急速に成長させた後、一定のサイズになって伸び悩んでいる姿をよく見ます。こんな時、創業者から聞かされるのが、人材がなかなか育たないこと、そして自分の言っていることを現場が分かってくれないという嘆きです。

 

しかし多くの場合、素質のある人材はいるし、現場もトップの言うことを真剣に聞こうという姿勢を持っています。むしろトップの方が、大きくなっていく会社に見合う仕組み作りや、自分のスタイルを変える努力を怠っていることが多く、言わば会社のサイズがトップのやり方を越えてしまっていることが原因になっています。

 

その中でも特に目立つのがトップとその次のラインのリーダーたちの関係の弱体化です。このリーダーたちはトップの腹心で、一緒に苦労してきて、本当はリーダーの一番の理解者たちのはずです。

 

トップ自身は、この人たちとの関係は特に今までどおり阿吽で維持できると思いがちです。一方では自分と現場の社員たちの関係も今までと変わらないという気持ちで接します。「これこそ風通しの良い社風なんだ」と信じて。

 

しかしトップの次のレベルのリーダーたちは、すでに多くの部下を抱え、横との連携を取りながらさまざまな約束事の中で動いています。もし会社の各パートがトップからの頻繁な介入でペースを乱されるとすると、会社全体の機能は著しく低下することになります。

 

トップが現場や市場の風に常に当たっていることは大事ですが、すでに会社は大きな体となり、体の中の動きをトップが逐一把握することはできなくなっています。だからこそ会社が機能するための組織(体の構造)を作ったはずです。

 

ここは、トップの役割が変わるのではなく、役割のフォーカスがシフトすると考えるべきです。一定以上のサイズになっていくとき、社内でのトップのフォーカスは、社員に会社の目指すゴールとそこに行くための戦略を示すこと、その戦略を実行するためのリソースを担保すること、そして、何より大切になるのが自分の作った組織が「契約的信頼関係」(「第8章 リスペクト」参照)で動いている状態を作ることです。

 

上記の最初の例、トップが現場社員から聞いた不満に基づき現場管理者を叱責する例では、トップは当該現場社員の言うことに同調し、確認もせずそれが事実だとして現場トップを叱責しています。ところが、判明している事実は、まだ「社員がそう言ったということ」だけです。トップはまずはこの「発言」を匿名で現場トップに伝え、その意見も聞き、発言の背後にある状況について二人で認識を共有し、その上で解決策を与えるべきです。現場社員の不満は正論が多く、事実であることも多いだけに、パッションのあるトップは気持ちのスイッチを入れてしまいがちになりますが、これは要注意です。

 

二つ目の例は現場の間違ったオペレーションを発見してその場で解決策を指示する話でしたが、これも入れ込み度の高いトップの気持ちのスイッチを入れてしまいます。天才的なトップは、オペレーションでもマーケティングでも現場で重要な発見をし、これをビジネスにいち早く取り込み会社を変革させていきます。これは良いことです。でも会社というチームを運営し、そのキーパーソンとして現場トップを置いている以上、改善のプロセスにおいてはこの人の位置づけをリスペクトしなければなりません。

 

現場は様々な相矛盾する問題を抱えながら、目標のアウトプットを出すべく、工夫をして、与えられた条件の中で常に最適解を求めて動いています。

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現場の仕事は言わば「積み木で作ったピラミッド」のようなものです。様々な形の積み木を積み重ねてピラミッドを作ることが現場の仕事だとします。エジプトのピラミッドのようなすき間のない完璧な形は現実ではできません。時間の制約も頭に入れながら、何とか最適解のピラミッドが組み立てられ現場が回っているとします。ひとつひとつの積み木の形も様々で、中には少し品質の悪いものもありますが、その積み木も全体のピラミッドを支えるためにはすでに必須のアイテムになっています。この質の悪い積み木を今外せばピラミッドは傾きます。誰もこの積み木を積極的には使いたくなかったけれど、いろんな制約の中で、いきさつ上必要なアイテムになったのでした。結果、トータルとして仕事は問題なく回っている。

 

そこにトップがやって来ます。問題の積み木を見つけ「この積み木は良くない。なんでこんなものを使ったのか。すぐ取り外せ」と言います。さて、現場は困ってしまいます。「この積み木は質の悪い積み木」というポイントだけで言われるとそれ以上の議論ができなくなるからです。

 

もっと悪いのは、忙しいトップがそれだけを言い残して次の会議に行ってしまったりすることです。こちらからはアクセスしにくいタイプの経営者であったならば現場は悲劇です。もしこれが繰り返されると、結局すべて上にお伺いを立てたり、新しいことは極力しないようにしたり、活力を失った現場になっていきます。

 

こうしたトップの行動や姿勢がもたらす最悪のパターンは、創業仲間や意見の言える幹部が一人抜け、二人抜け、気が付つくと、トップとは精神的距離があってトップの言うことを聞くだけの人たちが集まっているという結果です。指示待ちで、自分から動くことをしない、上ばかり見ているいわゆる「ヒラメ人間」の集団になってしまいます。社員は冷静です。トップ以下、各階層の上司・部下の関係をつぶさに観察し、結果としてヒラメ人間症候群はあっと言う間に会社中に広がることになります。

 

トップは「でも任せっきりにはできないよ」と言います。もちろん任せっきりはいけません。でも現実は「任せっきり」なのではなく「放っぱらかし」なことが多い。放っているのに細かいことだけ口出ししているケースが多いのです。「任せる」というのは投げるのではなく、両者の間に約束が定義された状態です。大事なのは何を任せるのか、何が責任なのか、どんな報告義務があるかということを両者の間で確認しておくことです。

 

まずはトップと次の階層の人たちの間に「契約的信頼関係」が必要です。知っている間柄だけにそんなことは照れくさいと思ってはダメです。

 

実はこのプロセスは自分が経営者として成長するプロセスにもなります、そして自分の腹心の人たちをこういうプロセスの中で育てることができれば、育てられた部下は同じことを自分の部下にもできるようになるはずです。

 

ここでは創業系の会社を例に書きましたが、これらはどんなタイプの会社にも、どんなサイズの会社にも当てはまることで、会社の総合力の原点だと私は考えています。

 

何度も言うように、お互いに対するリスペクトを持った「契約的信頼関係」が活力ある組織のカギになります。どの階層においてもこれが保たれていることが、会社が組織として機能し、その中で個々の社員が活き活きとしていくための必須要件なのです。

 

次章「第11章 伯楽」に続く。

 

1月から始めたこのブログの連載ですが、次週の第11章を以って一旦終了、中休みとさせていただきます。来週お送りする最後の1章もぜひお読みいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします

 

 

 

 

 

コメント

大路 航輝さん (2019年度 RB(ランニング・バック))

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この4年間、とことんアメリカンフットボールに打ち込みました

 

本当にフットボール三昧の日々でしたが、おかげでフットボールを通して多くを学びました。努力を地道に積み重ねることの大切さを学び、頭を使い自分で考えることがいかに成長につながるのか身に染みて実感してきました。

 

しかし、何より学んだのは「気持ち次第で結果は変わる」という信念が持てたことです。何かに挑戦するとき、もちろん準備の努力は大切ですが、最後に効いてくるのは「やってやろう」という気持で、実力だけでは説明できない差がこの気持ちによって生まれてくるのです。

 

日頃の練習の例で言えば、例えばウェイトトレーニングで限界の重量に挑戦するとき、「ダメなのでは」という気持ちで行くと挙がらないのに、「絶対にやってやる」という気持ちを持つと不思議と挙げられたりします。

 

試合中のコンタクトでも同じことが起こります。大きく強そうな相手に萎縮してしまうとぶつかった時に吹っ飛ばされるのに、「ぶちかましてやろう」という気持ちさえあれば体格差があっても案外当たり負けしないのです。

 

この気持ちは特に試合の時に大事です。きつい練習も日々の努力もすべて試合で勝つためにやっていると考えれば、試合で自分の力を100%あるいはそれ以上出すための「気持ち」は何より大切なものです。そういう意味ではこれは私が4年間で得た最高の教えだと思います。

 

森さんは「うまくいかない理由を理屈ばかりで考えてしまうことはよくない。理屈を考えずにがむしゃらにできる人の方が上手くいくこともある。」と言います。確かに「上手くいかないのではないか」という意識は私たちにリミッターのようなものをかけてしまう気がします。

 

試合で苦しい場面の時に踏ん張ることができるか、劣勢になっても戦い続けることができるか、それはチームの一人一人が「やってやろう」という気持ちを持ち続けられるかどうかにかかっています。私は、ウォリアーズにはどのような場面においても全員がこの気持ちを失わないチームになってほしいと思っています。

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