東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第7章  執 念

■勝利への執念 ― 森清之が讃えたプレー

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2018年度のシーズンが終盤となったところで、6戦全勝のウォリアーズは桜美林戦を迎えます。桜美林大学も6戦全勝、勝った方が来年度TOP8(関東学生アメリカンフットボール連盟の最上位リーグ)への自動昇格が決まるという大一番でした。満員のスタンドの中での試合です。

 

前半が終了した段階でウォリアーズは9対14のビハインド。巻き返しをと意気込んで後半に臨みます。最初のプレーはこちらからのキックオフ、桜美林大学のリターンです。

 

フットボールでは、前後半の最初や点が入った後、キックオフとなりますが、両者が距離を置いてスピードに乗り、正面から激突するというなかなか見ごたえのある場面になります。キックオフでボールを蹴りこまれた側のチームが自陣の30ヤードくらいまで戻せばまあまあ、それ以上、たとえば敵陣に入るところまでいけばビッグプレーとなります。

 

前半でリードを許していたウォリアーズは最初のディフェンスで相手をきっちりと止め早く反撃に転じたいところです。ところが、この最初のキックオフで独走を許し、自陣深くまで走られてしまいます。何とか自陣3ヤードというギリギリで止めたものの、ベンチやスタンドには「これはもう仕方ないからこのあと切り替えよう」という空気が漂います。

 

ところがこのあとウォリアーズのディフェンス陣が執念を見せ、相手の4回のプレーを何と自陣1ヤードで止めるという大殊勲を上げます。そしてオフェンスが奮起し逆転し、その後の追い上げも再び食い止め、試合に勝利、ウォリアーズは悲願のTOP8昇格を掴みます。

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試合のポイントは何と言ってもゴール前1ヤードで止めたディフェンスの集中力と踏ん張りだった、とだれもが感じていたと思います。

 

しかし試合後、森がこの試合の最も大きかったプレーとして挙げたのが相手のキックオフリターンをゴール前3ヤードで止めたタックルだったのです。

 

相手のロングゲインで自陣10ヤード以内に攻め込まれたら、たとえそこで止まっても「もうダメだ」と思ってしまうのが人情です。私もそう思いました。でもこれは森からすると「観客の目」なんです。

 

森が掲げる哲学は「あらゆる努力をし、あらゆる可能性にかけて勝利を掴む」ことです。試合の展開で何が起きるか分からない、すべてのチャンスを使って相手を倒すことです。あのゴール前3ヤードタックルがあったからこそ、その後のディフェンスの踏ん張りが生まれ、さらに逆転TDのプレーが生まれたのです。

 

森がシーズン通して教えてきたこの「勝利への執念」を最も如実に、端的に実行したのがあのタックルだったわけで、だからこそあえてこのプレーを最も大事なプレーとして取り上げ学生に強調したのだと思います。

 

森は強豪校との練習試合のあとのハドル(フィールド上でチームが集まり作戦などをシェアする場)でよく「タラレバ」の話をします。強豪校との試合はまだ負けてばかりなわけで、どんな条件が整えばこの試合は勝つことができたかという話です。一見後ろ向きの話にも聞こえます。

 

典型的昭和のアスリートである私からすれば「負けは負け、素直に認めて一から出直すのが成長の源」と思ってしまいがちです。

 

しかし、森は本気でこのタラレバを聞かせます。もちろん「うちがもっと強かったら」なんていう話はしません。ウォリアーズの今の力をきちんと発揮していればできたはずのプレー、これができていなかった場面を細かく取り上げ、これについて克明な分析をし、それができたとしたら試合の局面はどう変わっていったかという類の話です。これには説得力があります。

 

勝利を得るということがどれだけ大変なのか、どれだけの要素を積み上げていかないと届かないのかを教えるとともに、もしこれらのひとつひとつの要素を全部積み上げれば勝利に届く、つまりこちらにも勝機があるということを納得させるわけです。

 

学生がこの執念を体の中に叩き込むことができた時、ウォリアーズは一段と強くなるはずです。森の言う体技心の「心」の部分です。着任して3年目となった2019年度の春シーズン、森はそれまでの「体技」の話一辺倒から、ハドルでも「心」の話をするようになりました。それだけ体技の基礎ができてきたという判断があったかもしれません。あるいはいよいよTOP8での戦いを迎えて必要とされる「執念」の部分を教え始めるということもあったのでしょう。

 

原田泳幸の執念

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原田泳幸氏 宮崎シーガイアトライアスロンにて(当時64歳)

原田泳幸が、ベネッセのCEOを退任し、一時期社外取締役や顧問、あるいはセミナーの講師などを中心に活動するようになったころ、ある拍子に私にこんなことを漏らしたことがあります。

 

社外取締役とか顧問とかをやっていると、何度言っても分かってくれなかったり、分かっているはずなのにやらなかったり、こちらは我慢するのが大変だ。自分でボール持って走りたくなるよ。」

 

「でも、CEOをやっていた時の、あの24時間いつも何かを考えているという緊張感から解放されてみると、やっぱり内心ほっとした感じだな。あれをまたやるとなると相当なエネルギーがいるしなあ」と。

 

10年近く毎日間近にいましたが、経営者としての彼の態度や行動にブレを見たことはありません。淡々と、隙が無く、市場を分析し、人を観察し、何年か先までを頭に入れ、感情に流されず、人へのリスペクトは忘れず、会社として結果を出すことに常に集中しているのです。

 

60才でタバコやめ、毎日10kmのランニングを自分に課し、専門トレーナーをつけてトレーニングを行い、東京マラソンでは4時間ちょっとで完走し、トライアスロンにまで挑戦した、それこそ鉄の意志を持っているように見える人です。

 

そんな原田にとっても、やはりあのころのプレッシャーはすごいものがあったのでしょう。あるいは、彼自身が自分にものすごいプレッシャーをかけていたということかもしれません。経営者の仕事にゴールはなく、成長してもすぐに次の成長が求められる、山頂も踊り場もない道のりです。本気でその責任を果たそうとすれば生半可な覚悟やエネルギーでは続けていけません。

 

急成長の結果、マクドナルドは全国で16万人のパートタイムの社員を抱え、全国3,000店を超す店舗には年間延べで16億人の来客がありました。そしてそれがさらに増加しとてつもなく大きなブランドとなり、社会経済に与えるインパクトも一層大きくなっていったのです。

 

しかし順調であればそれだけ、周囲から「次は?」の期待が高まります。

 

「調子のよいときこそ変革のチャンスなんだ」と彼はいつも言っていました。経営に終着ポイントは無い。企業は常に成長することを宿命づけられている。しかも、自分たちは調子が良いと思っていても周囲はどんどん変わっていく。だから自分たちの方から先に変わらなければならない。変わるには投資がいる。だからこそ、物事が上手く行きリソースに余裕があるときにこそ次の手を打つんだという考えです。

 

しかし「言うは易く」で、現在機能している勝利の方程式を変えようと提案しても、社員はなかなか乗ってきません。必ず社内で反対や抵抗が沸き起こります。こういうとき、ふだんはあまりロジカルでない人たちほど急にロジカルになるもので、できない理由を声高に発し、下手をすると議論がうやむやなまま「とりあえず変えない。様子を見よう。」ということで落ち着いてしまったりもします。

 

しかし、原田は「できない理由はチャンスだ」と説きます。

 

できない理由がロジカルに展開されたらチャンスだというのです。どんな条件がクリアされれば実行できるのか、そこに判断の材料があるからです。おそらくクリアするには簡単でない条件が多いでしょう。みんなで寄ってたかってロジカルに防御した結果なのですから。その条件をクリアするためには多くの投資が必要になるかもしれないし、時間もかかるかもしれない。でも、その条件をクリアすればゴールにたどり着けるとしたらそれは大きな発見なのです。

 

そしてここからが本当の経営の仕事になります。リーダーシップと言えば簡単ですが、ゴリ押しすれば、チームワークに禍根を残したり、面従腹背が起きて実行段階に齟齬が出たりもします。どうやってワンチームであるべき方向に動くか、ここまで来るといかに経営が執念を持っているかにかかってくる気がします。

 

もし経営者のメッセージがただ単に「1円でも多く儲けよう」というような中身だったら社員はついてこないでしょう。しかしトップの掲げるゴールには価値があるんだと共感でき、経営者がそのゴールに向かってブレることなく執念を持って突き進んでいるのを見ていれば、社員は最後には必ずついてきます。なぜその努力をするのか、その意味がよく分かるし、自分達もそれに参加することに価値を見出せるからです。

 

言うまでもなく、経営の発想の原点として大事なのは「何ができるか」ではなく「何をすべきか」です。そして何をすべきかが明らかになったとき、経営の真価が問われます。いかに社員を夢中にさせて一緒にゴールに向かっていくことができるか。原田と一緒に仕事をして、経営の醍醐味を味わうことができました。

 

ビジネスパーソンとしての執念

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経営者に限らず、会社で働く者にとっても、執念を燃やして夢中で仕事ができればそれは楽しいはずです。

 

仕事を成し遂げようと必死でがんばりゴールにたどり着いたときの喜びは大きいし、何よりそれに至るプロセスにこそ仕事の醍醐味があります。情報を集め、頭をフル回転させ、仲間と侃々諤々の議論を交わし、関係者に頭を下げながらもこちらのペースに引きずり込み、ついにゴールに到達する。この中に自分の成長があり、仲間と成果の共有もでき、失敗の笑い話もむしろ後になれば胸に心地よく響きます。

 

しかしながら、企業のビジネスパーソンとして執念を燃やして夢中で仕事をすることに、いつの間にか「自己犠牲」とか「健康を損ねる」というようなネガティブなイメージがついてきてしまった気がします。その結果、企業の中の仕事のシーンでのワクワク感のレベルが低くなってしまったのではないかと心配です。

 

これまで何社もの企業で、さまざまな年代の人たちとコミュニケーションするチャンスがありましたが、多くの人たちが「夢中で働く」ことを求めています。若者たちも決してシラケ世代ではありません。あのゲームへの熱中度を見ればわかります。彼らは今の環境では夢中になれないと言っているだけです。

 

なぜこうなってしまったのでしょうか?

 

その原因のひとつに長時間労働とそれに伴う心身の健康問題やワークライフバランスの崩壊の問題があるようです。ここ10年ほどでしょうか、これらの問題が声高に取り上げられるようになりました。企業はこれに対処するために知恵を絞り、いろいろな対策を講じてきたはずですが、必ずしも本質的な解決には至らず、結果として、一定時刻でオフィスを閉めるとか、リモート勤務を増やすなど、まずは形だけでも導入してなんとか凌いできた部分があったのではないかと思います。

 

これに畳み掛けるように、3年ほど前からの政府の「働き方改革関連法」の動きがあり、本質的な解決策はさておいても、まずはこれら施策の指示に従わざるを得ず、結果自分たちの手足をもっと縛ってしまった感があります。

 

社員としても、仕事をきちんとしようとすると実際には長時間労働にならざるを得ない環境にいまだ置かれながら、総労働時間だけ短縮され、顔を突き合わせないと解決できない文化も根強く残っている中で在宅勤務が増えたりと、むしろ隘路に追い込まれた感すらあります。

 

こういう状況だと働くことのワクワク感は低下せざるを得ないでしょう。

 

もちろん、働きすぎによる健康被害は出してはいけないし、ワークライフバランスは社会全体の活性化のために是非とも必要です。それだけに、緊急措置だけでなく、本質的解決策が待たれるところです。

 

私は、ワクワク感低下の問題には、この「働き方改革」に加え、もっと本質的な課題もあると思っていますが、同時に、実は労働環境(働き方)の問題も、ワクワク感低下の問題も本質は同根であり、両課題を前向きに解決していくことが日本の多くの企業の活性化につながると考えています。

 

これらの具体的な解決策の案については次章「第8章リスペクト」で私見としてご紹介させていただきますが、大切なのは現場の社員がイキイキと活動できる環境を作ることです。そうした雰囲気の中で、社員自身が自分の時間を自分の意思でコントロールしながら業務ができる風土になれば、またこの風土を職場全体がコンセンサスとして受け止める環境ができれば、問題となっている多くの課題も自ずから解決するだろうと感じます。当然ながら基本的な法制度の整備が並行してなされることは必要ですが。

 

しかし、こういった企業文化の転換には相当なエネルギーが必要になります。会社という所は多くの人たちが集まり集団で物事を進めていく場ですので、どうしても社会全体が持つ価値観や行動様式の影響を強く受けます。社会で美徳と認識されている価値観を、企業の現場だからといって否定したり変更したりすることは容易ではありません。

 

このように、企業が変化しようとする時によくぶつかる「既存の価値観」の例を2つほどご紹介したいと思います。

 

■会社と社員の関係

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ある会社の取締役会でこんな経験をしたことがあります。

 

長年急成長をしてきたこの会社では、毎年2桁成長をするのが当たり前となり、いわゆる数字ありきの事業計画が毎年設定され、成長を支えるための人材育成や採用の戦略が後追いになっている状況がありました。このしわ寄せが現場に蓄積されていたのです。

 

私が「すでに現場の社員は疲弊している。将来の成長を維持するためにも、現場人材の現状を棚卸し、将来に向けての人材育成戦略を経営としてよく議論する必要がある。」と提起したのですが、本質論に入る前に「現場の社員が疲弊」という言葉が取り上げられ攻撃の的になってしまいました。

 

曰く、「経営側が自ら『現場が疲弊している』などと言ってはいけない。社員には常に会社への最大限の貢献をするよう教えなければならない。例えば事業がうまくいかず先が見えない時には、社員は土曜でも日曜でもとにかく会社に出てきて、『自分としてできることをやろう』という雰囲気を持たせることが経営として大事だ。」

 

この考え方に何人かの役員が同調し議論はあらぬ方向に進み、結局のところ、そもそもの人材育成議論はできずに終わってしまいました。

 

「それぞれの立場でやれることをやろう」というフレーズがあります。結構多くの場面で使われ、経営としては都合のよい表現ですし、このフレーズの強みは建前上は誰にも反対できないというところです。しかし、多くの社員は「まずは経営としてやるべきことやってくれないと」と思っているかもしれません。

 

実はまだまだ「社員は会社に奉仕すべき」と考えている経営者も多くいます。上記の例ほどの明確な発言は少ないものの、私自身、多くの経営者の深層心理の中にそれを見てきました。「社員の『会社のために』という思いが会社というものの一番の原動力だし、結局それは社員の幸せにもつながるはず」と。しかし、哲学的な議論はさておき、今の時代にこの考え方で皆がハッピーになる構図はどう考えても出てきません。

 

 ■ヘッドスライディング

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もうひとつ、野球での例をお話しさせてください。何度か申し上げたように、スポーツの指導と会社経営には共通項が多く、この話にも会社での働き方を考える上で面白いImplication(含蓄)があると思いますので。

 

私たちの好きな高校野球のシーンのひとつに、ファーストへのヘッドスライディングがあります。必死で、一歩でも先に、全身を投げ出してファーストベースに飛び込み、ユニフォームは泥だらけになる。感動シーンのひとつです。

 

しかし、一生懸命な気持ちに水を差す気はないのですが、ヘッドスライディングを選択することが正解なのかどうかについては疑問が残ります。

 

タッチプレーが伴う場合にはいろんな形のスライディングをトライするべきでしょう。でもファーストはフォースプレーです。少しでも早くベースにタッチすることが大事で、おまけに駆け抜けることが許されています。正確な計測は分かりませんが、専門家は駆け抜ける方が早いだろうと言います。また暴投などのエラーがあったとき、次の塁を狙うためには立った状態の方がおそらく有利でしょう。

 

それでも9回の最後の攻撃になるとなぜかヘッドスライディングが増えるのです。ひとつには選手たちの必死な気持ちがそうさせているのでしょう。気持が先に行ってしまい態勢が前のめりになって最後は倒れながらヘッドスライディングというパターンです。

 

これを私たちは「素晴らしい執念」と称えますが、試合に勝つためには少しでもセーフになる可能性の高いプレーを選ぶべきで、本当は駆け抜けるべきなのです。もし、試合の後半になって体力が落ちたため駆け抜けられず飛び込んでしまったということであれば、それは育成の失敗、チームとしての準備不足であり、試合の後半になっても前半と同じスピードで一塁を駆け抜けることのできる体力と走力を作ることが本当の「勝とうという執念」です。

 

私は、球児たちがヘッドスライディングをしてしまう深層心理に、大人たちから常日頃受けている教育やプレッシャーがある気がします。それは「一生懸命にやっていることを行動で示せ」というメッセージです。

 

スポーツ新聞の大きな見出しのフレーズには「死力を尽くして」「執念を燃やして」「倒れながらも」といった表現が踊り、読者の購買意欲をそそります。スポーツそのものは、プロであれアマチュアであれ、観客から見ればショーの要素があるので、観客側のこの気持ちに何の問題もありません。ただ、この「風土」がアマチュアスポーツの世界にも厳然として残り、指導者や関係者の気持ちをいまだに支配していることに課題があると感じます。

 

さて、翻って私たちの会社の働き方も、このファーストへのヘッドスライディングと同種同根の風土に影響を受けていると思います。お互い「頑張っていること」を見せあい示しあうことが暗黙の了解事項になっており、これが集団としての団結力や間合いの維持に大きな役割を果たしているのです。そんな中で、長時間労働をしたり、体調が悪くても出勤してくることは、実は最もわかりやすい「頑張っている」のサインになっているのかもしれません。

 

こういった旧来の「美徳」から抜け出して、会社と社員がもっとビジネスライクな信頼関係を築き、それでいて人と人とのつながりが会社のベースとなっているような、言わば社員がプロになり、その社員の心がプロとして活性化されている職場をどう作るか、そしてその中でワークライフバランスの取れた環境をどう維持するか、これからの経営者が直面する一番大きな課題です。

 

 

次週 「第8章 リスペクト」に続く

 

 

 

コメント

伊藤 宏一郎さん

2019年度 副将/QB(クォーターバック

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 森さんがヘッドコーチに就任して3年、Warriors2019のTOP8挑戦が始まりました。チーム事情を鑑みれば、TOP8リーグの中でも数校の上位校相手には戦力やプレーを温存し、下位校だけに勝ちにいくというのもひとつの選択肢でした。4年生の中にも迷いがあり、「本当に日本一を狙うのか」、「現実的な目標として信じているのか」、何度も話し合いました。

 

そんな私たちに森さんは「一戦必勝、全試合全力で勝ちに行く」と明言したのです。そしてそうするためにいかに私たちの気持ちの部分が大切であるかを強調しました。

 

これは決して根性論ではありません。アメリカンフットボールをするための体力や技術、これを上達させるための具体的、合理的なあらゆる努力をした上で、最後に大事になるのが「勝とうという気持ち」だということです。

 

新しい挑戦に「本気で挑もう」とする決心は必ずしも合理的判断で行うものではありません。同じように、最後の段階に来て高い壁を目の前にし、これをぶち壊そうと思い切り当たっていくのも決して合理的判断で動くわけではないのです。大事になるのは「気持ち」なのです。

 

私たちはそれまで2年間、森さんの指導の下、勝つための努力を毎日毎日積み重ねて来ました。そういったベースがあっただけに、森さんからの「気持ち」のメッセージはとてもスムーズに心に響いたのです。

 

2019年度のシーズンは結果的には1勝5敗に終わってしまいましたが、一戦必勝ですべての試合を勝ちに行ったことで、自分たちとTOP8との差がどこにあるのか明確に認識することができました。どのチームも強かったけれど、決して手の届かないところにいるわけでないと感じたし、通用する部分としない部分を、一年間全力で戦い抜くことで浮き彫りにすることができたと思います。そして我々のこの経験は必ず次代のチームへと引き継がれていくと思っています。

 

森さんがヘッドコーチとして東大アメリカンフットボール部に来たのは私が2年生になったばかりの時です。それまでは、「日本一を目指そう」となんとなく思ってはいたものの、「そのためにどんなQBになるべきなのか、何が正解なのか」自分の中ではわからない状況でした。そんな時にグラウンドに現れた森さんに私は飛びつき「答え」を求めようとしました。

 

しかし森さんは「自分で考えてその答えにたどり着く」ことを説いたのです。森さんは部員全員にも常に「自分で考える」ことを要求します。「アメリカンフットボールというスポーツは非常に合理的なもので、経験を積んでいけば誰が考えても同じような答えに行き着くようにできている。だからこそ真剣に考えることを繰り返し、正しい答えを得ることのできる力をつけなければだめだ」と。

 

それから、私は各プレーにおいて最善の選択は何か、まず自分で考え、その上で「森さんで答え合わせ」をするようにしました。これを続け、自分で考えることを習慣化することで、しだいに自分と目標との差を埋めるためにどのような練習が効果的かを理解できるようになり、主体的に練習を選択、実行するようになってきたのです。この習慣は自分のアメリカンフットボールの基礎になり、きっとこれからの人生の基礎にもなってくれると思います。

 

私は森さんの指導を直接受けることができた数少ない恵まれたQBの一人です。Warriorsでの経験を通じ、フットボールのことはもちろんですが、それだけではないさまざまなことを学び、人間としても成長することができたと思います。

 

アメリカンフットボールを大学で始め、Warriorsでアメリカンフットボールをすることができて、私は幸せだったと卒直に感じています。

 

Warriors は私にとってこれ以上ない学びの場であったと同時に、日々刻々の幸せを与えてくれた場でした。

 

以上。

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昨年春、ネットに載りました伊藤宏一郎(当時QB)に関する記事を
ご紹介いたします。