東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第9章 ハワード・シュルツの教え

 ハワード・シュルツとの出会い

f:id:tokyowarriors:20200323175612j:plain

ハワード・シュルツと出会ったのは1998年の半ば、私が45才の時でした。私と同い年の彼がすでに世界的に有名な経営者になりつつあった時です。

 

当時のスターバックスは、アメリカ市場で事業が軌道に乗り、1990年代に入ると海外展開の準備を始めることになりますが、その中で、何と日本が最初のターゲットとなります。日本が当時世界第3位のコーヒー消費国だったことも影響したようです。

 

日本での立ち上げが順調に進み30数店舗まで来たところで、いよいよ急拡大のフェーズに入り、日本人の経営者を増やそうということで私がハワードと知り合うことになります。私はNTT、経営コンサルタント会社等を経て、当時はバクスターという医薬品・医療機器企業の日本の事業部長を務めていたころで、スターバックスのようなリテールビジネスをやるとなると初めての経験となるため、正直躊躇がありました。

 

スターバックスの本社があるシアトルは坂の多い街で、その坂がどれも西側の湾に向かって下っていきます。街を歩いていると高いビルの間に突然海が見え、入り組んだ湾を取り巻く丘陵越しに遠くの山々が目に飛び込んできます。夕方になると海に夕陽が落ち、夏には沢山のヨットが水面を滑っていきます。

 

シアトルはカフェの似合う街で、いかにもスターバックス発祥の地という趣があり、スターバックスはこういう精神的に豊かな土壌で生まれ育ったのだなとつくづく感じます。

 

そんな趣のある街と入江を見下ろしながら、ハワードは私に言いました。

 

イチロー、日本の人たちは長年コーヒーを愛してきているのだろう。喫茶店というカフェが何万店もあるというじゃないか。そんなにコーヒーが好きな人たちにぜひスターバックスのコーヒーを楽しんでもらいたいんだ。」

 

「日本人のホスピタリティは素晴らしい。ホスピタリティはスターバックスの大事な価値なんだ。日本人のパートナー(スターバックスの言葉で「社員」のこと)はきっとこのスターバックスの価値をお客様にきちんと提供してくれると思う。」

 

「日本の企業は社員を家族の様に扱って、みんなでひとつの目標に向かって協力し合っていくって言うじゃないか。スターバックスもそういう社風なんだ。そういう社風じゃないと本当のスターバックスのホスピタリティは顧客には伝えられない。」

 

「海外展開の最初のマーケットとして、スターバックスにとって日本ほどぴったりのところはないと思う。スターバックスのブランドを広めるためにぜひ一緒にやってほしいんだ。」 

 

ハワードのやさしい眼差しの奥には、自分の信じる価値へのあくなき追求があり、どうしても達成していくのだという執念が見えました。この後私はスターバックスジャパンに参加し、当時スターバックスのパートナーであったサザビーリーグの力強いドライブもあり、在籍の約4年の間で450店舗までの急成長を経験、会社はナスダック・ジャパン(当時)への上場も果たすことになりました。

 

ハワード・シュルツの執念

f:id:tokyowarriors:20200323175646j:plain

 

ハワード・シュルツはスマートで物腰も柔らかで、話していても常に相手に対するリスペクトを忘れない、まさにスターバックスの店舗の雰囲気とオーバーラップする人です。でも話がスターバックスブランドの成長のことになると執念の人に変わります。

 

スターバックス店舗を通し実現しているカフェ文化、これを世界中に広げることが彼の長年の夢で、彼の頭の中にあった大きなビジョンから言えば、世界で31,000店を超えた今でもまだ道は半ばなのかもしれませせん。

 

彼は経済的に貧しい家で育ちました。父親は第二次大戦に従軍したことで体を壊し、また当時のアメリカの企業から何度もレイオフに会ったりと、不運で厳しい経験をしています。彼が若いころに、もし将来自分が経営者になったら、必ず社員を大切にする経営をしようと心に決めたのも、そんな父親の状況を目にして育ったからでした。

 

高校時代、アメリカンフットボールクォーターバックとして活躍したハワードは、スポーツ特待生で大学に入りますが、これがなければ大学には行けなかったかもしれない経済状態だったようです。

 

卒業後ゼロックスのセールスマンとしてニューヨークで活躍、その後マープラスト社に勤務している時に巡りあったのが同社の顧客である「スターバックス・コーヒー・ティー・スパイス」という会社だったのです。当時深煎りのコーヒー豆専門店として営業していたスターバックスでしたが、彼はその深い味わいと経営者のコーヒーに対する思い入れに魅了され、自分を売り込んで入社することになります。

 

スターバックスに入社した彼はその後出張でイタリアに行きますが、今度はそこで目にしたバール(カフェ)の文化に魅了されます。街の人たちが集まりエスプレッソを味わいながらコミュニケーションを交わしている。コーヒーをハブにしてそこにコミュニティができているのです。

 

彼は、スターバックスの素晴らしいコーヒーでアメリカにこの文化を取り入れたいと考えます。アメリカで街中にスターバックスのカフェがあって、人々がそこに集まってくる。それが彼の夢となってきます。

 

しかしこの構想は、スターバックスの当時の経営者たちの反対に会い実現することができません。そこでハワードは一度スターバックスを飛び出し、自分のブランドでスターバックスの豆を使ってこのカフェの展開を始めます。

 

そのうちスターバックスの創業者が引退することになり、それを聞きつけたハワードはシアトル中の投資家から投資をかき集めスターバックスを買い取ることに成功します。現在のスターバックスが誕生した瞬間です。この時彼はわずか34才でした。

 

買収後、彼はさっそくカフェの地域展開を始めようとしますが、彼が望むスピード感に対し、最初のころは関係者も必ずしもポジティブでなく、投資家やメディアもまだまだ懐疑的な目を向けていました。それでも彼は自分のビジョンを信じ、この文化をアメリカ中に広めるのだ、世界中に広めるのだと頑張り、その結果、スターバックスは今や世界で31,000店舗を超え、アメリカ国内ではあのマクドナルドの店舗数を超える存在となったのです。

 

 ハワード・シュルツの教え

f:id:tokyowarriors:20200323175714j:plain

 

スターバックスに在籍し、日本での拡大の仕事をする中で、ハワードが創り、育んできたスターバックスの経営哲学を沢山学び身に着けることができました。

 

中でも、その独特なブランド創りは大変勉強になりました。

 

第2章でも述べましたが、スターバックスには自らの強みに対する深い信念があります。これを今一度紹介させてください。

 

スターバックスの店舗に入るとコーヒーの良い香りが体を包む。こんにちは!の声と一緒にBGMの粋なジャズの音色が耳に入ります。シュッというスチーマーの音、店員の笑顔、この空間を味合うことこそが顧客にとってのスターバックスの価値なのです。

ハワードはこれを『スターバックス体験(Starbucks Experience)』と名付け、これがスターバックスの価値、スターバックスが顧客に提供する商品の中核だと説きます。

同時にハワードは『スターバックスは顧客にとってのサードプレース(Third Place)になるのだ』と教えます。

ファーストプレースは自分の家。セカンドプレースが社会で自分が属している場所。学校だったり会社だったり。そしてスターバックスは顧客にとって3番目の場所。ほっとした気持ちになって自分を取り戻せる場所、それがスターバックスであり、顧客価値なのです。テイクアウトされたカップにも顧客はこのイメージをダブらせているはずです。

顧客にとっての価値であるこの空間は、すべて店舗の社員が演出します。舞台装置はあるけど、この空間の雰囲気は『人』がいて初めて演出できるものなのです。

ハワードのもうひとつの言葉に、One cup at a time, one customer at a time (一杯ずつ、お一人ずつ)というフレーズがあります。

これは、スターバックスがどうやってそのブランド価値を築き上げていくかのプロセスを表現しています。

顧客がお店に来てくれたその機会に、一杯のコーヒーを提供するその瞬間に顧客はスターバックスの価値に触れる。これを積み重ねて初めてブランドが確立する。一回でもがっかりすることがあればあっと言う間に崩れてしまいます。

『だからスターバックスはコーヒービジネスではなくピープルビジネスなんだ』という信念をハワードは持っています。

ただ、社員がこのブランドの価値を信じプライドをもっていない限り、こんな顧客価値を何千店舗のオペレーションで維持することはできません。

そのために彼はこのスターバックスの価値を何度も何度も繰り返して社員に伝えると同時に、社員と経営の信頼関係を高めるための努力を惜しみませんでした。」

 

スターバックスでは、店舗がブランド創りの檜舞台です。顧客がスターバックスに求める価値の多くの部分は店舗で作られており、それを、パート社員が大半を占める店舗社員が担うことになります。

 

その上スターバックスには、メディアを通じてのコマーシャルは一切流さないというポリシーがあります。テレビで伝えたメッセージを店舗で再現するのではなく、メッセージは店舗が発します。つまり顧客へのコミュニケーションにおいても店舗が唯一のステージであり、その主役はやはり店舗社員なのです。

 

店舗社員が主役であるということ自体、彼らのモチベーションやプライドを刺激して、それが相乗効果となって店舗でのブランド創りに貢献しますが、しかしその反面、各店舗が主役となっているからこそ、企業全体としてブランドの中身や価値を一定に維持していくのは簡単ではありません。

 

これを支えているのが、会社全体のスターバックスブランドに対する思い入れや、店舗でブランドを作るんだという覚悟ともういうべき信念でした。

 

スターバックスでは本社のことを「サポートセンター」と呼びます。本社として管理するのではなく、あくまで店舗のパフォーマンスを最大化するためのサポート役なんだという考えです。もちろんこれだけの大きなチェーン展開をするためには、サポートセンターは大きな管理機能を持っています。商品の開発もサポートセンターが行います。

 

でも大切なのは、「サポート」という言葉の真髄の部分です。サポートすべき対象は店舗におけるブランド創りであり、店舗社員が生き生きとして、しかもスターバックスの道からは外れず、店舗において顧客とのインターフェースの中でブランドを創っていける環境を作ることです。まだ急成長中だった当時のスターバックスには、特にこのフィロソフィが色濃くありました。

 

スターバックスの顧客価値は例えば「サードプレース」で表現されるなど、その業態から言ってもロケットサイエンスではないので、比較的分かりやすいものかもしれません。しかし一方で主観的にもなりがちで、チェーン展開をしながらブランドを一定に維持する上でチャレンジでもあります。

 

これに対し、特にハワードは、ブランド創りの「試行錯誤」を広く容認する姿勢を示していました。もともと店舗で創っていこうとしているブランドですから、ここは重要なポイントでした。

 

スターバックスには「Just say yes (まずはYesと言おう)」というポリシーがありました。今もあるのではないかと思います。これは主に顧客対応上のコンセプトで、例えば既存の商品に何か少し変更を加えてほしいというリクエストをもらった場合、まずは現場の判断で「やってみよう」という姿勢で構わないというフィロソフィです。正確に言えば「Just try to say yes (お応えできるようトライしてみよう)」という方が当たっているかもしれません。

 

このフィロソフィはチェーン展開にとって多少のリスクは孕むものの、スターバックスの強みをさらに高める上で効果的なのです。社員は、顧客の期待に応えようと悩み、努力し、満足してもらうことで自分が主役であることをより実感できます。また、顧客のリクエストには、商品やサービス改善の上で多くの情報があり、これに対応できないかトライしてみることは、常にブランドを向上していく上で有効に働きます。

 

ハワードの「試行錯誤」の例として、自動エスプレッソマシンの導入の件が思い出されます。スターバックスの店舗では、今は自動マシンが当たり前となっていますが、日本で急拡大をしていた初期の時点では、アメリカ市場も含めまだマシンは全部手動のものでした。

 

そこへ高性能の自動エスプレッソマシンが登場し、これをスタンダードにするべきかどうか大きな議論となります。味もまったく遜色ないほど高性能で、店舗のオペレーションの効率性を考えれば、早く導入すべきと多くの人が考えました。

 

でも、ハワードは当初、これにあまり乗り気ではなかったと聞いています。手動のマシンで入れる時のシュッという蒸気音や、これを巧みに扱うバリスタ(店舗社員)の仕草にスターバックスの味があると言うのです。これを自動にしてスターバックスの価値は維持されるのか?これがハワードの疑問でした。

 

私は詳しい議論には参加しなかったのですが、このハワードの投げかけを契機にアメリカも含め、社内のいろんなところでこの議論がなされたのを覚えています。今から思えば、ハワードの本当の狙いはここだったかもしれません。時代には逆らえないし、ブランドは進化していけばいい、でも店舗社員も含めたすべての社員がこのブランド変化にオーナーシップを持ち、変化の過程に参加していく、これがスターバックスなんだと考えたのかもしれません。

 

 ■経営者の役割

f:id:tokyowarriors:20200323193439j:plain

日本のスターバックス店舗で佐々木主浩選手(当時シアトル・マリナーズ)と。 当時、スターバックスジャパンは佐々木選手の協力で高校生の留学支援プログラムを進めていた。

 

こうして独特な社風の中で、独特なバランス感覚で「店舗でのブランド創り」が維持されていたスターバックスですが、日本での初期の急成長の過程でも、この社風をいかに再現するかが大きなミッションでした。

 

当時、スターバックスジャパンはスターバックスUSとサザビーリーグの50:50のEvenの会社として設立されており、サザビーリーグが日本におけるスターバックスのパートナーでした。

 

サザビーリーグは、今更説明するまでもなく、常に新しい時代の風を提案してきた企業で、当時も次々と新しい生活スタイルのブランドを導入していました。ファウンダーの鈴木陸三さんの盟友である森正督さん(現・取締役会長)がスターバックスジャパンのボードに入り、鈴木さんのお兄さんの角田雄二さんがスターバックスジャパンのCEOとなり、サザビーとして深くスターバックスジャパンの経営に関わったのです。

 

両社の価値観は見事に一致し、サザビーの持つ自由な社風がスターバックスのそれとコラボし、サザビーの存在がスターバックスの価値を日本で展開する大きな力となっていきます。

 

こうしてスターバックスUSのDNAを受け継いで誕生したスターバックスジャパンは、成長過程においても、その独特の社風やブランド創りのプロセスを、日本市場において忠実に再現していくことになります。

 

あれから20年経った今、日本のスターバックスの店舗には当時と同じ空気が流れ、店舗の社員はあの時と同じように笑顔で店舗の主役になっています。初期の成長期に関わった一人として、私もスターバックスに行くたびに彼らのホスピタリティをエンジョイし、幸せな気持ちにさせてもらっています。現場は経営を映す鏡です。きっとその後もすばらしい経営が保たれてきたからだと思います。

 

このように、スターバックスの経営スタイルは独特なのですが、これを支える制度に、魔法や傑出したアイデアがあるわけではありません。人事制度においても然りです。制度なら、世の中には専門家が作ったものがいくらでもあります。要は、いかに経営が制度に血脈を送り込むことができるかだと感じます。

 

そのためには社員との信頼関係が何より大切になります。経営が考える企業価値を常に社員とコミュニケーションすること、そしてその価値の創造に社員を参加させることが始まりです。

 

そしてこのプロセスを実のあるものにするためのベースが、社員へのリスペクトです。一人の人間としてリスペクトすることはもとより、一人のプロとして扱い、そのキャリアに責任を持ち、社員にもプロとしての自覚を持たせ、双方向のコミュニケーションを継続することで信頼関係を維持し高めていくことだと思います。

 

ハワードの自著で、スターバックスのブランド創りについて彼が語っている書籍があります。『スターバックス成功物語(日経BP社/原題:Pour Your Heart Into It)』という本で、日本での初版が1998年ですからもう随分時間が経っています。私は今も時々読み返し、楽しんでいます。経営トップの自叙伝的な書籍には、時として綺麗事が並び、社内の実際の空気からは乖離していることも間々あるのですが、この本にはハワードの本当の気持ちが素直に表現され、凝縮されています。私自身、彼自身から同じ内容の話を何度も聞かされており、とても愛着を覚える書籍です。

 

彼の言葉にはいつもインスパイアされますが、この本の中で特に彼らしい思いのこもったメッセージを2つご紹介します。

 

“経営者が、社員を取り換えが効く歯車のように扱えば、社員も同じような姿勢で経営者に対することになる。社員は歯車ではない。彼らは人間であり、皆、自分に価値があることを実感したいし、自分や家族の必要を満たすための収入も得たいのだ。この社員のひたむきな献身がなければ、スターバックスは繁栄することも、顧客の心をとらえることもできないのだ。”

 

“事業計画などは単なる紙切れにすぎない。いかに見事な事業計画でも、社員がそれを受け入れてくれなければ、何の価値もないのだ。社員が経営者と同じ気持ちになり、心底やり遂げようと決意しなければ、事業を継続することはおろか、軌道に乗せることすらおぼつかない。そして社員は、経営者の判断が信頼でき、なおかつ自分たちの努力が認められ、正当に評価されるのだと実感した時、はじめて計画を受け入れる。”

 

 ■ウォリアーズとスターバックス

f:id:tokyowarriors:20200323175928j:plain

 

 40年離れていたウォリアーズの現場に戻って来たとき、この高揚感はどこかで経験したことがあると感じ、直ぐにそれがスターバックスだったと気づきました。

 

今、ウォリアーズに若者が集まり、価値観を共有し、まだ現実には誰も見たことのない世界に行こうとしています。一人ひとりが考え、互いをリスペクトしながら、時に議論しながら、チームとしてひとつのゴールを目指しています。「日本一」という言葉はそれまでもありました。でも今はそれを現実として目指し、そこに向かう道を、蛇行しながらも歩き始めているのです。

 

一方、スターバックスが日本に上陸した時点では、ミルクを多く使う商品カテゴリーも、紙コップで提供することも、テイクアウトが中心となることも、そして禁煙ポリシーもどれも日本の顧客にとってはまだ珍しく、これが本当に受け入れられるか懐疑的な論調もありました。

 

しかし、このブランドは誰もが驚くペースで市場に受け入れられ、店舗数も急拡大をしたのです。その中心となったのは、自らがこのブランドのファンとなり、その価値を信じた若者たちでした。この素晴らしいブランドを日本に広めていこうと、社内はまるで文化祭のような盛り上がりでした。

 

何度も述べましたが、企業の経営と運動部の指導には多くの共通点があります。どちらも究極、いかにそのメンバーを活性化するか、各メンバーがどれだけ自律的に、かつ規律を持ってチームのゴールに貢献できる環境を作るか、そこに命運がかかっているからだと思います。企業の価値は結局のところ社員の価値の総和だし、運動部の力も部員の力の総和であり、それ以上のものではないからです。

 

店舗社員を主役にすることで他に追随を許さないブランドを築き、スターバックスはすでに世界でもトップクラスの企業となりました。ウォリアーズもいつの日か、日本を代表するチームのひとつになれるよう、法人として支援を続けていきたいと思います。

 

次章「第10章 トップと現場」に続く。

 

コメント

森 清之(もり きよゆき)さん

東大アメリカンフットボール部・ヘッドコーチ

f:id:tokyowarriors:20200323180002j:plain3年前に東大の練習を始めて見た時、本当に真面目に一生懸命頑張っているな、というのが偽らざる第一印象でした。と同時に、一番の強みがあまり活かされていないな、とも感じたことをはっきりと覚えています。

 

決して学生たちのやろうとしていることが的外れであったわけではありません。しかし、必死で頑張っているが故に、視野が狭くなり、思考停止に陥っているように私には思えました。思考停止だと感じたのは、誰かに教えられたこと、先輩がやっていたことを「とにかく頑張って」やり続けているうちに、その練習を行う目的やポイントが徐々に忘れられていったり、捻じ曲がったりしていたように見えたからです。

 

そしてそのことに気づいて指摘をする者は誰もいませんでした。日々の練習によって目的や目標にどれだけ近づいたかよりも、どれだけ頑張ったかに皆の関心がありました。そこには、勝つための、強くなるための、上手くなるための『具体論』が欠けていました。勝つために「とにかく頑張る」ことが、学生たちを思考停止に陥いらせていたのです。

 

また、学生たちは、心の奥底では、日大、早稲田、法政を始めとした私学強豪校に勝てるとは全く思えていませんでした。学生たちにとってトップクラスの私学強豪校は別世界。そして、そう思っていることに対して真剣に向き合うことから逃げていました。敢えて厳しく過激な言葉で表現すると、彼らは「絶望的な努力」をしていたのです。

 

ウォリアーズには私学強豪校と比べると極めて大きな制約があります。スポーツ推薦がなく、加えて、日本でもトップクラスのタフな入学試験を突破しなければならないリクルーティングはその最たるものです。しかし、裏を返せば(トータルのプラスマイナスは別として)実はここに我々の強みもあるのです。

 

東大に合格するためには、ある程度の地頭の良さに加えて、(多くの人にとって)大して面白くもない受験勉強を、様々な誘惑に負けず地道に継続していくことが必要です。つまり、東大生は、目標を達成するために必要なことをストイックに継続していける力のある者が多い集団と言えます。受験のために勉強したこと自体はアメフトにはほとんど役に立ちませんが、目標を達成するために適切な作戦を立て、それを実行していくプロセスは競技スポーツ(勝利を目標とするスポーツ)においても全く同じです。物事を成し遂げるために極めて重要な「持続する意志」を持ち、大学受験の中でトップレベルの東大入試を突破したというレベル感と成功体験を持っていることは大きな強みです。

 

したがって、目的や目標を明確にし、「常に自分の頭を使って考える」カルチャーをチームに根付かせることが、我々にとって当面最もプライオリティーの高いことだと考えました。具体論を積み重ね、着実に力をつけることによって自信をつける、というごくごく平凡なことを愚直に繰り返すことを求めました。しかし、このことは、それまでの自分たちのやり方を、ある意味では否定されることでもあり、学生たちにとって、特にプライドの高い東大生にとっては、かなり厳しいことだったと思います。初年度(2017年)は、結果としては決して思うようなものではありませんでしたが、苦しい1年ながらも主将の遠藤を始めこの年の4年生の努力が大きなターニングポイントになったのは紛れもない事実です。

 

翌年、チームは初めてのTop8昇格を果たし、Top8での戦いは今年で2年目を迎えます。自分の頭を使って考え、具体論を積み重ねるカルチャーが根付きつつある現状を考えると、チームはそろそろ次の段階に進みつつあると見ています。日本一という目標を考えると、これでようやくスタートラインに立てたというところでしょうか。ここからは、「何をやるか?」よりも「どこまでやるか?」の重要性が徐々に増してきます。ここまでの成長の原動力となった「考える」ことが、時と場合によっては、マイナスに働くことも有り得るというジレンマにも直面する事もあるでしょう。目標を達成するためには、当然これまでとは次元の違う厳しさが求められます。

 

東大がスポーツで日本一になるという、ある意味で分不相応な目標を達成するための原動力は、学生たちの挑戦心や努力であることは間違いありませんが、分不相応な目標だからこそ、学生たちの力をより大きな成果に結びつけるための環境整備は極めて重要です。その役割を担う法人(一般社団法人東大ウォリアーズクラブ)は、現場の我々にとって非常に心強い存在であり、チームの一部です。形式上、「チームの運営を委託された団体」なのかもしれませんが、我々にとっての法人は、それぞれ立場や役割は違うものの、共通の理念、共通の目的、共通の目標、そして共通のカルチャーを持つ『チームメイト』なのです。アメリカンフットボールは組織の総合力で勝負が決まる競技です。これからも一緒に強くなり、目標に向かって共に戦っていきます。

f:id:tokyowarriors:20200323180058j:plain