東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

ブログ書籍化のお知らせ

この度、本ブログ内容をもとにさらに何章か書き加え、書籍として出版致しました。

 

私は、ウォリアーズの支援に取り組む中で、ヘッドコーチの森さんが学生を指導、教育する姿勢やその一貫した哲学に深く感銘を受けてきましたが、同時に企業活性化と運動部強化のための道筋、特にリーダーシップのあり方に大変多くの共通項があることを発見し、これらの思いを本ブログにまとめて発信してきました。 

 

この8月で法人設立から2年、準備段階から数えて足掛け3年が経過しましたが、この間みなさまの支えのおかげで、ようやくウォリアーズはあるべき方向に力強く動き出したと感じています。そして、この動きを進めて行けば、ここで経験していることは、単にウォリアーズの改革に留まらず、社会への新しい提案に結びつくことになるかもしれないと思うようになってきました。その時のために、今考えていること、苦しんでいること、感じていることを記録に留めておこう、そんな思いでこの本の出版を決めました。

 

書籍の題名は

     東大アメリカンフットボール部 

       ウォリアーズの軌跡 

    ‐新時代の大学スポーツを目指して‐

です。

 

みなさまにも、ぜひ手にとってお読みいただく機会をお持ちいただければ有難く存じます。

 

当書籍の販促のためのチラシ(オモテ、ウラ面)を添付しましたのでどうぞご覧ください。定価¥2,750(消費税込)のところ、東大ウォリアーズオンラインショップ(https://shopping.tokyowarriors.com/  )を通してご購入いただくと¥2,000(消費税、送料込)となります。詳細は添付のチラシをご覧ください。

 

チラシURL

オモテ面

https://drive.google.com/file/d/1Kkh8JL8HfKgOj8TF0dmH8xQ8LHsszvIu/view?usp=sharing

ウラ面

https://drive.google.com/file/d/1qqxrxizmkKrb_NAMTFLpPSQx2UUe2VR0/view?usp=sharing

 

今年はコロナ禍の中、法人も含めた支援のチームワークがますます重要になっています。森さんと一緒に、ウォリアーズが更に高く羽ばたけるよう今後も努力を続けてまいります。

 

一般社団法人東大ウォリアーズクラブ

代表理事 好本一郎

第11章 伯楽

今回は最終回。「第11章 伯楽」「岩田真弥さんからのコメント」「おわりに(好本より)」の三部構成になっています。

 

森が目指すゴール

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森がウォリアーズのヘッドコーチを引き受けてくれたことに、ウォリアーズの関係者は正直驚きました。どうしても来てほしい人だが内心難しいだろうと踏んでいたのです。食事の席で森の受諾の返事を聞いたウォリアーズ監督の三沢英生はトイレに行き一人で泣いたと言います。

 

森は受諾の後、メディアに「下手でも一生懸命やっている学生の指導がしたかった」というコメントを残しています。

 

彼自身 選手、コーチ、監督として日本一を知り、ヨーロッパNFLへもコーチとして参加、そして全日本チームの監督も2度経験しています。フットボールを知り尽くし、ひのき舞台をすべて経験した彼だからこそ、フットボールで何かを達成した時の感動や、そこに至るプロセスが持つ意味をよく知っているのでしょう。それをなるべく多くの学生に味合わせたいと考えたのでしょうか。

 

「もう少しレベルが上がれば、もっともっとフットボールの魅力が分かってくる。そうなればさらに向上心も出てくるはず」。これは彼からよく聞く言葉です。傍で見ていて、彼自身が、まだもどかしい気持ちを抑えながら指導をしている様子がよく分かります。

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京大の現役時代は「ほとんど狂気の世界だった」と彼自身が言います。練習の後、学生同士で深夜までディスカッションし、それから筋トレを始め、気が付くと夜明けなんて日もあったそうです。3、4年生時には2年間笑わなかった部員もいたという逸話さえあります。学生がそこまでフットボールに取り憑かれ、自ら望むゴールを執念を持って目指す、そのプロセスの中に森はスポーツの価値の真髄を見てきたのだろうと思います。

 

しかし彼はこれを決して学生に強要しません。今のステージでこれを言っても学生は本当には理解できないと彼は考えます。もう少しだけレベルが上がれば、その世界が見えてくる。そうなったらフットボールの虜(とりこ)になるはず。自分から虜にならなければ意味がないし、本当の集中力も出てこないと考えているのでしょう。

 

一流のアスリートの特徴は自律心が高く、自分をコントロールできる力に秀でていることです。森はこの特性を受験戦争を通り抜けてきた東大生に見出しています。ましてやフットボールはシステマティックで戦略的なスポーツであり、東大生が強くなる要素は十分にあると見ています。

 

でも、究極のゴールは学生個人が自ら設定しないといけない。本気で、何が何でもそこに到達しようと思えた時、初めてその学生が持つ自立心やセルフコントロールの力が発揮されるのです。森は自分の経験を頼りに、あらゆる努力を積み重ねつつ辛抱強くその時を待っています。

 

本当の教育とは ― 個人の能力を伸ばす

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名伯楽という言葉があります。馬の能力を見抜き、その馬を名馬に育てあげる名人というのが元の意味のようです。

 

名伯楽というとイチロー選手を育てた仰木監督や、有森裕子高橋尚子の素質を見抜きメダリストに育てあげたマラソン小出監督がよく引き合いに出されます。古くは王貞治の能力を見出しホームラン王にまで育て上げた荒川博コーチも有名です。

 

このように、我々が伯楽と言う場合は、特定のアスリートの持つ特別に高い素質を見出し、それを個別の指導により開花させた例を言うことが多いようです。

 

そういう意味では、森はまたこれとは違ったタイプの指導者です。

 

もちろん彼はフットボール選手のポテンシャルを見抜く鋭い目を持っていますが、フットボールが組織的なチームプレーであることから、彼は、それぞれの選手の特性を見抜き、どうやって適材適所を作るか、それぞれの選手のポテンシャルをどう引き出すか、そしてその上で全体が機能するためのストラクチャーをどう構成するかという部分により高いレベルのフォーカスを当てます。

 

トップアスリートの推薦入学もなければ、フットボール経験者も少ないという国公立大学の宿命の中でこうせざるを得ないという面もありますが、彼の指導の根幹にあるのは教育という視点です。フットボールは素晴らしいスポーツで、これに集中させることで成長させる、そして個々人の能力や持ち味を活かし伸ばしていくことが本当の教育であるという信念です。

 

あの学生がこんな自覚を持つようになったとか、この学生が急にいろいろと質問してくるようになったとか、森はとても嬉しそうに報告してくれます。彼の頭には200人近い部員の情報がいつも整理されていて、情報の中にはその学生の性格や学業、そして経済状態まで入っています。単に運動部の指導者というより、教育者の域に達している感があります。

 

日本のスポーツの興隆のためには、名馬発掘の力のある伯楽も必要ですが、森タイプの伯楽はもっと大勢必要です。こういった教育者の役割も果たしながらスポーツの指導にあたることのできる指導者が増えれば、それだけスポーツの土台が強化され、若者がよりよい環境で自分の競技に打ち込めることになるはずです。

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翻って企業の中を考えると、森タイプの伯楽の必要性はもっと高く、日本経済が再び強くなる上で必須の人材です。

 

もちろん企業経営者にとって、後継経営者や幹部候補のポテンシャルを見抜き、抜擢し育てることは大事ですが、それ以上に大事なのが社員のマジョリティに対してきちんとした育成とフォローができることです。

 

まずは社員ひとりひとりにリスペクトを持って接し、その特性や強みを認めそれに対するきちんとした評価をすることができるか。そしてその上でそれぞれの社員の特性に合わせた育成とキャリア作りを行い、社員の市場価値を上げていくようなフォローができるかです。

 

これにより、各部署に必要とされる人材が配置され、社内がモチベーションで満ちた社員でいっぱいになれば経営としては大成功です。

 

スポーツ界だけでなく、多くの日本企業でも森タイプの「伯楽の力」を持つ経営者が増えてもらいたいところです。

 

 

 

コメント

岩田 真弥さん

㈳東大ウォリアーズクラブ・職員

前職は Bリーグ 千葉ジェッツふなばし 集客担当

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 中学3年生でフットボールを始めてその魅力に取りつかれ、米国シアトルでの大学時代(ワシントン州立大学)にはスポーツマネジメントを勉強する傍ら地元のセミプロチームでプレーし、帰国後も社会人チームに所属しいまだに現役のRB(ランニング・バック)をやっています。思い返せば、大学受験や大学での専攻、仕事のチョイスと、人生の大切な決断を全てフットボール中心でやってきました。

 

米国からの帰国後、仕事を通して多くのウォリアーズ出身者と知り合う機会があったのですが、皆仕事ができ思いやりもある人たちで、ウォリアーズはどんなチームなのだろうとずっと興味を持っていました。そんな中、前職で現監督の三沢英生さんと知り合い、日本のフットボール界やウォリアーズに対する熱い思いや将来へのビジョンを聞くことができ、ますますその思いが高じていました。

 

私のアイデンティティフットボールだし、これまで私という人間を作ってくれたフットボールには心から感謝し、いつの日か日本のフットボールの発展に貢献する仕事がしたいと思っていました。フットボールというスポーツをこの国でももっともっと多くの人に知ってもらいたいという思いです。

 

そんな矢先に㈳東大ウォリアーズクラブでのお仕事の機会をいただき、二つ返事で昨年の夏に飛び込んできました。

 

ウォリアーズに来て何より私の胸を打ったのは、ここにいる人たちのウォリアーズ愛の深さです。OBOGの方々は心からウォリアーズが好きで後輩を本当に大切に思い、部員のご家族には私たちの活動に深く賛同をいただき、これに地域の方々や卒業生のご家族まで加わり皆一緒になってウォリアーズを温かく応援してくれています。

 

一方で、部とそれを支える法人が、大きくなった組織を整然と動かし効率的な運営をしていることも驚きでした。法人の方々が、皆仕事を持つ中でこれだけのエネルギーをウォリアーズに捧げていることには頭が下がります。また、学生自身の自覚も高く、部の運営が学生中心で運営されていると思えないほどシステマティックに動いているのも、見ていて不思議なほどです。これも森さんの指導の賜物なのでしょう。

 

ウォリアーズの活動は新体制の途上にあって、財政的にも決して楽な状態ではありません。でもこの支援者のウォリアーズ愛と、部や法人の実行力で、きっと現状を打開しさらに高みに上っていくことは間違いないし、私も微力ながらその力になりたいと思っています。

 

ウォリアーズの仲間となってまだ10か月ですが、学生たちが目に見えて日々成長していく姿を見てきました。フットボールは素晴らしいスポーツです。もっともっと多くの学生に、ウォリアーズにいるからこそできる経験を積ませてあげたいと思います。

 

日本一を本気で目指すことを通じて成長した学生が社会に羽ばたいていけるよう、そしてウォリアーズがいつか日本のフットボールを牽引する存在になれるよう、ウォリアーズの仲間と一緒に頑張ってまいります!

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おわりに(好本より)

 

私は毎朝、犬を連れて散歩に行き、家から10分くらいのところにある区立の公園の中を通ることにしています。ここには少年用の野球場が2つ併設されていて、毎朝6時から必ずどこかの小学生の野球チームが来て練習をしています。朝から大きな声を出して元気よくボールを追う少年たちの姿は微笑ましく、こちらも元気をもらえます。

 

区内にはこういった少年野球チームが数多くあり、街の商店街や地域の掲示板にはメンバー募集のポスターもよく見ます。各チームには必ず数名の指導者がおり、みなさん地元の人たちですが、もう長年関わっている人もいるようです。これに子供のお父さんたちが加わり、朝6時からという時間なのに、各チームに何人もの大人が付いて子供の指導をしています。

 

実は私の息子も20年ほど前にひとつのチームに入れてもらい、私もその時には俄かコーチで練習を手伝ったものです。すでにどのチームも何十年もの歴史を持ち、中には大人になってから自分のチームの世話役を買ってでる卒業生もいました。

 

みな地元の子供たちなので同じ小学校に通う子も多く、保護者は小学校の先生方ともコミュニケーションを取りながら子供たちの活動をサポートしています。

 

このようにコミュニティが関わって、地域の施設で子供がスポーツを楽しめるという環境があるのはありがたいことです。やはりスポーツの魅力なのでしょう。また、スポーツが若者の成長を後押ししてくれると皆が思っているからなのでしょう。これだけの活動が何十年も行政も含めて地域ぐるみで続いているのです。

 

ただ、毎朝通るたびにひとつ気になることがあります。

 

お父さんたちは、お疲れの中、朝早くから来て一生懸命大きな声で子供たちの指導をしているのですが、その内容が、毎朝ほぼ同じ、限られた言葉ばかりなのです。

 

ホラホラ、もっと声だせよ!

早く、早く、サッサと動け!

あ~あ、ボール、はじいちゃダメだよ!

ほら、フライ上げちゃダメだって言っただろ!

よくボール見ろよ!

 

これら指導者の言葉には数十年間進歩がありません。

思い返せば、私も自分の子供のときには同じことを言っていたと思わず苦笑です。

 

この子たちに、勝ち方や、そのための練習方法、そして自分で考えることの喜びを早いうちから教えてあげれば、彼らはスポーツのすばらしさをもっと実感し、スポーツを通じてさらに成長することができるのにと思ってしまいます。

 

日本の社会はスポーツに理解があり、若者がスポーツに勤しむことのできる物理的な環境も整えられてきました。次は「指導」というインフラの質をどれだけ向上させることができるか、これが課題だなと思いながら、今日も犬と散歩に出かけています。

 

 

完。

 

みなさまのご愛読に心から感謝を申し上げます。

どうもありがとうございました。

 

好本一郎

 

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筆者の愛犬 そら

 

 

第10章 トップと現場

■プロの指導者としての森清

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ウォリアーズの歴史で、森は初めてプロのフルタイムのヘッドコーチとなりました。

 

日本のフットボール界でも、プロあるいはプロと同様の扱いを受けている指導者は多くなりました。Xリーグの指導者はプロか、あるいはチームを持つ会社の社員として働き、私立強豪校の場合も多くは大学の経営がコミットし、教員や職員の形で雇用しており、現実はプロの扱いを受けている場合が多いと言えます。

 

大学スポーツの指導者であっても、ビジネスパーソンと同じで、プロとしての雇用が成り立つためには、雇う側と雇われる側の間で契約を交わし、雇われる側が活躍できるための報酬や環境、評価の仕組みを約束事として交わすことが大切です。

 

プロ意識の高い指導者ほど、自分の責任や期待されるアウトプット、そして評価の基準を具体的に確認したいと考えるだろうし、そのアウトプットを出すために、雇う側に対し、活動環境への投資を要求するのも当然です。一方で雇う側から言っても、投資に見合うリターンが出るよう、指導者との意思疎通に努めるとともに、活動しやすい環境をアレンジしようとするのが自然です。

 

しかし現在、国公立大学や一般の私立大学では、このようなプロの指導者はいまだ稀で、大学の教員や他で仕事を持つ人が、少しずつ時間を割きながら面倒を見ているという場合がほとんどです。

 

ウォリアーズもこれまでは主にOBが指導者となりボランティアベースで、忙しい中、献身的に学生を支え指導してきたという歴史でした。指導者の選抜も実際には、「後輩のために」と考えるOBがまずはボランティアとして手を挙げ、これをOBOG会がエンドースするという形で行われてきています。その結果、現場の指導方針策定やその実行は基本的にこの指導者に任され、OBOG会は少し離れながらその指導者の活動を物心共にサポートしていくという文化でした。

 

こんな歴史と文化の中に、突然、他大学出身の「森清之」という大物がプロとして登場したわけで、1,000名を超えるOBOG会員も、新しい動きに期待しながらも、プロの指導者として位置づけや、「雇う側」としての関わり方などについて明確な理解やコンセンサスがあったわけではありません。

 

結果として、プロとしての森の位置づけは実際のところ曖昧なものになっていました。フルタイムで給与が支払われているという意味ではこれまでとは違うものの、OBOG会は、これまでと同じプロセスで森の地位をエンドースしており、少し離れたところから現場の活動を支援しているという形のままでした。

 

そんな、ある意味「いびつな」関係にありながら森がここまで機能し、早くも目に見える成果を出しているのは、森自身が本質的なところでプロとしての高い意識を持ち、また組織人としての責任感も強く、権利を主張する前に、まずは与えられた環境の中で期待に応えるべく最大限の努力をするという姿勢を貫いてきてくれたからです。またこれに呼応して、限られた一部OBが森の姿勢を意気に感じて、新体制を築くための努力を続けてきたことも大きな支えになりました。

 

幸い当初から森と私たちは、大学の運動部を指導する上で、同じ価値観を共有していました。大事にしたいのは、人間的成長をもたらすこと、安全第一で進めること、学生の将来に資すること、そしてスポーツをやる以上本気で勝ちにこだわることです。スタートラインはきっちりと共有できていたのです。

 

しかし、まだ「指導者と雇用者」としてのプロフェッショナルな関係が完成しているわけではありません。

 

私たちが新体制として組み立てた構造は、法人がステークホルダー(OBOG会、ファミリークラブ、ファンクラブ)の信任を受け、その意を呈し、代表して森と契約を結びその関係を律していくという形です。

 

しかしながら、新体制が一部の人たちの強力なリーダーシップの下で短期間に作られたこともあり、未だステークホルダー側の「意」がひとつになっていない現実があります。制度上は、法人の社員(企業の株主/取締役に相当)17名が3つのステークホルダーを代表しており、彼らが私たち理事を管理監督しているわけで、この17名の「意」がステークホルダーのそれということにはなるのですが、現実はまだそのレベルに至ってはいません。

 

そもそも、森のようなスーパースターを私たちがマネジメントできるのかという声もありますが、私はそうではないと考えています。

 

この関係には、企業のマネジメントレベルの構造と類似性があります。企業において、ある分野のスーパースターがひとつの会社や事業ユニットを「現場トップ」として任され、それを管理し関係を律するのが親会社の「経営トップ」だったとします。この場合、経営トップは必ずしも当該分野の専門家である必要はありません。経営トップとって大事なのは、現場トップと経営者同士のコミュニケーションを積み重ね、信頼関係を作り、現場トップが力を発揮しやすい環境を用意するとともに、最終的なアウトプットイメージとその評価方法をきちんと両者でシェアすることです。この関係があれば経営トップは現場についての詳細な知識を持つ必要はなく、むしろ現場の問題を現場トップの判断に委ねることで、より高いレベルの経営を実現することができます。

 

このような経営トップと現場トップの関係を森との間で、さらに作りこんでいくことが今の私の大切なミッションです。ウォリアーズ史上初めてのケースとして、また大学スポーツでの新しい体制にトライするという意味でも、早く答えを見つけ出したいと日々自分自身の中で格闘しています。そしてこの答えを見つけることは、結局のところ、稀代のフットボール指導者である森のポテンシャルを100%花開かせることにつながるとも考えています。

 

■OBOG会との関係

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一方で、法人はOBOG会、ファミリークラブ、ファンクラブといった支持者と良好で生産的な関係も構築していかなければなりません。

 

UNIVAS(大学スポーツ協会:「第5章 運動部は誰のもの?」参照)のビジョンが実現し日本版NCAAの時代でもやってこない限り、日本の大学の運動部はこういった関係者たちによってその地盤を支えられていくからです。

 

先ほどの「経営トップ、現場トップ」例になぞらえれば、この支持者たちは言わば「株主」の立場にあるということになると思います。「経営トップ」である法人が「株主」である支持者の意を受け、良好なコミュニケーションを維持しながら、「現場/事業会社トップ」である森のパフォーマンスを最大・最適化していく、この仕組み作りをすることが法人のミッションです。

 

この支持者の地盤の中でもOBOG会は最も大きな存在です。部の歴史を作り、現役世代を皆でサポートする文化を構築するのもOBOG会です。この特有の文化や仕組みは、これからも少なくとも相当な期間、日本の大学スポーツを支えるためには不可欠です。

 

ウォリアーズにおいても事情は同じで、このOBOG会と現場、そして法人の3者の関係をどう生産的なものにするか、3者にとってwin-winの関係をどう構築するか、これにも日々格闘が続いています。

 

「第5章 運動部は誰のもの?」でも述べましたが、どこの運動部でもOBOGから現役への応援には熱いものがあり、試合を見ている時には特別に熱がこもってきます。

 

運動部のOBOGにとってその競技は青春の1ページにとどまらない、人生における自分のアイデンティティみたいなもので、それだからこそ自分のチームが負ければとても悔しいし、自分自身が否定された気にすらなります。

 

その上大体において、見ているうちに自分の方がうまかったと錯覚してしまうことが多く、後輩の失敗を見るともどかしくて仕方ない気持ちになってきます。

 

試合後は同年代で飲み会に行き、ああでもないこうでもない、ひとつひとつのプレーや選手ひとりひとりの力、ひいてはヘッドコーチや監督の采配、選手の育て方にまで話題が及びます。

 

こんな風に騒ぐことでOBOGは明日へのエネルギーを得ているし、このエネルギーが物心両面での後輩へのサポートを生み出しています。現役から見るとありがたい話です。

 

しかし、このエネルギーが一線を越え始めると、現役の活動にとって逆効果になります。戦績について監督への批判の声が上がったり、生産的でない議論が繰り返されたり、時にはOBOG同士のいさかいが起きることさえあります。

 

その中でも最も避けなければならないのが、長期的なチーム作りが邪魔されることです。

 

スポーツなので勝敗の結果や個別のプレーを批評することは容易です。しかし、大学の現場指導者を評価する場合、まずは活動の大前提であるべき人間教育や安全管理、部活動のガバナンスについてのパフォーマンスをしっかりと評価すべきです。

 

そして、勝敗の結果だけを議論するのではなく、部活動のほとんどを占める練習やミーティングをどのように展開してきたか、そのパフォーマンスについて議論しフェアな評価をするべきです。現場は現実的な制約の中で、妥協もして、限られた時間の中で最大限効率的に動こうとするし、また勝負事なので相手が今年強いか弱いかにも影響を受けます。そもそも勝つために、指導者として十分な活動環境が与えられていたかについても斟酌されるべきです。

 

森の姿勢は一貫しています。批判に対しても常にオープンに謙虚に耳を傾け、それに対して自分の意見もはっきりと述べ、かつ現実の制約も理解した上で最適解を求めることのできる人物です。私はむしろ我々評価・支援側が早くこのようなプロフェッショナルなステージに立たなければならないと思っています。

 

そのためには、ウォリアーズの新体制を早く完成し有効に機能させていくことが不可欠です。ウォリアーズと法人、そして支持者がチームのゴールとその道程についてコンセンサスを持ち、全員で現場をサポートしているシーンを見たいものです。ウォリアーズ愛ではすでに皆一致しています。あとは新しい体制の中で、いかに相互に有効に機能し合い、自分たち自身へのガバナンスを利かせていくことができるかです。

 

そして、こうした先にいつの日か「日本一」があると信じています。森のおかげで今は皆本気です。時間はかかると実感しています。まだまだ先になるかもしれない。だからこそ私たちは1日たりとも努力を緩めることはできないのです。

 

■トップと現場 ― 企業での課題

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さて、企業経営においても、経営トップと現場トップとの関係に課題を抱える例をいくつも目にしてきました。

 

経営トップがよく現場にフラッと現れる会社があります。これは社風としてはとてもいいことです。そこで社員とのフランクなコミュニケーションが期待できるからです。しかし、そこで直接社員から不満を聞いたトップが、これを持ち帰り、現場トップを呼びつけ「何やってんだ!」と言ってしまったらおしまいです。

 

同様に、現場のことをよく知っているトップが、現場のオペレーションの中で良くないプラクティスを見つけます。そこでトップが直接現場の社員を叱責しその場で具体的な修正を指示することがありますが、これもかなり危ない行動です。

 

優秀な創業者が、ゼロからスタートした事業を急速に成長させた後、一定のサイズになって伸び悩んでいる姿をよく見ます。こんな時、創業者から聞かされるのが、人材がなかなか育たないこと、そして自分の言っていることを現場が分かってくれないという嘆きです。

 

しかし多くの場合、素質のある人材はいるし、現場もトップの言うことを真剣に聞こうという姿勢を持っています。むしろトップの方が、大きくなっていく会社に見合う仕組み作りや、自分のスタイルを変える努力を怠っていることが多く、言わば会社のサイズがトップのやり方を越えてしまっていることが原因になっています。

 

その中でも特に目立つのがトップとその次のラインのリーダーたちの関係の弱体化です。このリーダーたちはトップの腹心で、一緒に苦労してきて、本当はリーダーの一番の理解者たちのはずです。

 

トップ自身は、この人たちとの関係は特に今までどおり阿吽で維持できると思いがちです。一方では自分と現場の社員たちの関係も今までと変わらないという気持ちで接します。「これこそ風通しの良い社風なんだ」と信じて。

 

しかしトップの次のレベルのリーダーたちは、すでに多くの部下を抱え、横との連携を取りながらさまざまな約束事の中で動いています。もし会社の各パートがトップからの頻繁な介入でペースを乱されるとすると、会社全体の機能は著しく低下することになります。

 

トップが現場や市場の風に常に当たっていることは大事ですが、すでに会社は大きな体となり、体の中の動きをトップが逐一把握することはできなくなっています。だからこそ会社が機能するための組織(体の構造)を作ったはずです。

 

ここは、トップの役割が変わるのではなく、役割のフォーカスがシフトすると考えるべきです。一定以上のサイズになっていくとき、社内でのトップのフォーカスは、社員に会社の目指すゴールとそこに行くための戦略を示すこと、その戦略を実行するためのリソースを担保すること、そして、何より大切になるのが自分の作った組織が「契約的信頼関係」(「第8章 リスペクト」参照)で動いている状態を作ることです。

 

上記の最初の例、トップが現場社員から聞いた不満に基づき現場管理者を叱責する例では、トップは当該現場社員の言うことに同調し、確認もせずそれが事実だとして現場トップを叱責しています。ところが、判明している事実は、まだ「社員がそう言ったということ」だけです。トップはまずはこの「発言」を匿名で現場トップに伝え、その意見も聞き、発言の背後にある状況について二人で認識を共有し、その上で解決策を与えるべきです。現場社員の不満は正論が多く、事実であることも多いだけに、パッションのあるトップは気持ちのスイッチを入れてしまいがちになりますが、これは要注意です。

 

二つ目の例は現場の間違ったオペレーションを発見してその場で解決策を指示する話でしたが、これも入れ込み度の高いトップの気持ちのスイッチを入れてしまいます。天才的なトップは、オペレーションでもマーケティングでも現場で重要な発見をし、これをビジネスにいち早く取り込み会社を変革させていきます。これは良いことです。でも会社というチームを運営し、そのキーパーソンとして現場トップを置いている以上、改善のプロセスにおいてはこの人の位置づけをリスペクトしなければなりません。

 

現場は様々な相矛盾する問題を抱えながら、目標のアウトプットを出すべく、工夫をして、与えられた条件の中で常に最適解を求めて動いています。

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現場の仕事は言わば「積み木で作ったピラミッド」のようなものです。様々な形の積み木を積み重ねてピラミッドを作ることが現場の仕事だとします。エジプトのピラミッドのようなすき間のない完璧な形は現実ではできません。時間の制約も頭に入れながら、何とか最適解のピラミッドが組み立てられ現場が回っているとします。ひとつひとつの積み木の形も様々で、中には少し品質の悪いものもありますが、その積み木も全体のピラミッドを支えるためにはすでに必須のアイテムになっています。この質の悪い積み木を今外せばピラミッドは傾きます。誰もこの積み木を積極的には使いたくなかったけれど、いろんな制約の中で、いきさつ上必要なアイテムになったのでした。結果、トータルとして仕事は問題なく回っている。

 

そこにトップがやって来ます。問題の積み木を見つけ「この積み木は良くない。なんでこんなものを使ったのか。すぐ取り外せ」と言います。さて、現場は困ってしまいます。「この積み木は質の悪い積み木」というポイントだけで言われるとそれ以上の議論ができなくなるからです。

 

もっと悪いのは、忙しいトップがそれだけを言い残して次の会議に行ってしまったりすることです。こちらからはアクセスしにくいタイプの経営者であったならば現場は悲劇です。もしこれが繰り返されると、結局すべて上にお伺いを立てたり、新しいことは極力しないようにしたり、活力を失った現場になっていきます。

 

こうしたトップの行動や姿勢がもたらす最悪のパターンは、創業仲間や意見の言える幹部が一人抜け、二人抜け、気が付つくと、トップとは精神的距離があってトップの言うことを聞くだけの人たちが集まっているという結果です。指示待ちで、自分から動くことをしない、上ばかり見ているいわゆる「ヒラメ人間」の集団になってしまいます。社員は冷静です。トップ以下、各階層の上司・部下の関係をつぶさに観察し、結果としてヒラメ人間症候群はあっと言う間に会社中に広がることになります。

 

トップは「でも任せっきりにはできないよ」と言います。もちろん任せっきりはいけません。でも現実は「任せっきり」なのではなく「放っぱらかし」なことが多い。放っているのに細かいことだけ口出ししているケースが多いのです。「任せる」というのは投げるのではなく、両者の間に約束が定義された状態です。大事なのは何を任せるのか、何が責任なのか、どんな報告義務があるかということを両者の間で確認しておくことです。

 

まずはトップと次の階層の人たちの間に「契約的信頼関係」が必要です。知っている間柄だけにそんなことは照れくさいと思ってはダメです。

 

実はこのプロセスは自分が経営者として成長するプロセスにもなります、そして自分の腹心の人たちをこういうプロセスの中で育てることができれば、育てられた部下は同じことを自分の部下にもできるようになるはずです。

 

ここでは創業系の会社を例に書きましたが、これらはどんなタイプの会社にも、どんなサイズの会社にも当てはまることで、会社の総合力の原点だと私は考えています。

 

何度も言うように、お互いに対するリスペクトを持った「契約的信頼関係」が活力ある組織のカギになります。どの階層においてもこれが保たれていることが、会社が組織として機能し、その中で個々の社員が活き活きとしていくための必須要件なのです。

 

次章「第11章 伯楽」に続く。

 

1月から始めたこのブログの連載ですが、次週の第11章を以って一旦終了、中休みとさせていただきます。来週お送りする最後の1章もぜひお読みいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします

 

 

 

 

 

コメント

大路 航輝さん (2019年度 RB(ランニング・バック))

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この4年間、とことんアメリカンフットボールに打ち込みました

 

本当にフットボール三昧の日々でしたが、おかげでフットボールを通して多くを学びました。努力を地道に積み重ねることの大切さを学び、頭を使い自分で考えることがいかに成長につながるのか身に染みて実感してきました。

 

しかし、何より学んだのは「気持ち次第で結果は変わる」という信念が持てたことです。何かに挑戦するとき、もちろん準備の努力は大切ですが、最後に効いてくるのは「やってやろう」という気持で、実力だけでは説明できない差がこの気持ちによって生まれてくるのです。

 

日頃の練習の例で言えば、例えばウェイトトレーニングで限界の重量に挑戦するとき、「ダメなのでは」という気持ちで行くと挙がらないのに、「絶対にやってやる」という気持ちを持つと不思議と挙げられたりします。

 

試合中のコンタクトでも同じことが起こります。大きく強そうな相手に萎縮してしまうとぶつかった時に吹っ飛ばされるのに、「ぶちかましてやろう」という気持ちさえあれば体格差があっても案外当たり負けしないのです。

 

この気持ちは特に試合の時に大事です。きつい練習も日々の努力もすべて試合で勝つためにやっていると考えれば、試合で自分の力を100%あるいはそれ以上出すための「気持ち」は何より大切なものです。そういう意味ではこれは私が4年間で得た最高の教えだと思います。

 

森さんは「うまくいかない理由を理屈ばかりで考えてしまうことはよくない。理屈を考えずにがむしゃらにできる人の方が上手くいくこともある。」と言います。確かに「上手くいかないのではないか」という意識は私たちにリミッターのようなものをかけてしまう気がします。

 

試合で苦しい場面の時に踏ん張ることができるか、劣勢になっても戦い続けることができるか、それはチームの一人一人が「やってやろう」という気持ちを持ち続けられるかどうかにかかっています。私は、ウォリアーズにはどのような場面においても全員がこの気持ちを失わないチームになってほしいと思っています。

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第9章 ハワード・シュルツの教え

 ハワード・シュルツとの出会い

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ハワード・シュルツと出会ったのは1998年の半ば、私が45才の時でした。私と同い年の彼がすでに世界的に有名な経営者になりつつあった時です。

 

当時のスターバックスは、アメリカ市場で事業が軌道に乗り、1990年代に入ると海外展開の準備を始めることになりますが、その中で、何と日本が最初のターゲットとなります。日本が当時世界第3位のコーヒー消費国だったことも影響したようです。

 

日本での立ち上げが順調に進み30数店舗まで来たところで、いよいよ急拡大のフェーズに入り、日本人の経営者を増やそうということで私がハワードと知り合うことになります。私はNTT、経営コンサルタント会社等を経て、当時はバクスターという医薬品・医療機器企業の日本の事業部長を務めていたころで、スターバックスのようなリテールビジネスをやるとなると初めての経験となるため、正直躊躇がありました。

 

スターバックスの本社があるシアトルは坂の多い街で、その坂がどれも西側の湾に向かって下っていきます。街を歩いていると高いビルの間に突然海が見え、入り組んだ湾を取り巻く丘陵越しに遠くの山々が目に飛び込んできます。夕方になると海に夕陽が落ち、夏には沢山のヨットが水面を滑っていきます。

 

シアトルはカフェの似合う街で、いかにもスターバックス発祥の地という趣があり、スターバックスはこういう精神的に豊かな土壌で生まれ育ったのだなとつくづく感じます。

 

そんな趣のある街と入江を見下ろしながら、ハワードは私に言いました。

 

イチロー、日本の人たちは長年コーヒーを愛してきているのだろう。喫茶店というカフェが何万店もあるというじゃないか。そんなにコーヒーが好きな人たちにぜひスターバックスのコーヒーを楽しんでもらいたいんだ。」

 

「日本人のホスピタリティは素晴らしい。ホスピタリティはスターバックスの大事な価値なんだ。日本人のパートナー(スターバックスの言葉で「社員」のこと)はきっとこのスターバックスの価値をお客様にきちんと提供してくれると思う。」

 

「日本の企業は社員を家族の様に扱って、みんなでひとつの目標に向かって協力し合っていくって言うじゃないか。スターバックスもそういう社風なんだ。そういう社風じゃないと本当のスターバックスのホスピタリティは顧客には伝えられない。」

 

「海外展開の最初のマーケットとして、スターバックスにとって日本ほどぴったりのところはないと思う。スターバックスのブランドを広めるためにぜひ一緒にやってほしいんだ。」 

 

ハワードのやさしい眼差しの奥には、自分の信じる価値へのあくなき追求があり、どうしても達成していくのだという執念が見えました。この後私はスターバックスジャパンに参加し、当時スターバックスのパートナーであったサザビーリーグの力強いドライブもあり、在籍の約4年の間で450店舗までの急成長を経験、会社はナスダック・ジャパン(当時)への上場も果たすことになりました。

 

ハワード・シュルツの執念

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ハワード・シュルツはスマートで物腰も柔らかで、話していても常に相手に対するリスペクトを忘れない、まさにスターバックスの店舗の雰囲気とオーバーラップする人です。でも話がスターバックスブランドの成長のことになると執念の人に変わります。

 

スターバックス店舗を通し実現しているカフェ文化、これを世界中に広げることが彼の長年の夢で、彼の頭の中にあった大きなビジョンから言えば、世界で31,000店を超えた今でもまだ道は半ばなのかもしれませせん。

 

彼は経済的に貧しい家で育ちました。父親は第二次大戦に従軍したことで体を壊し、また当時のアメリカの企業から何度もレイオフに会ったりと、不運で厳しい経験をしています。彼が若いころに、もし将来自分が経営者になったら、必ず社員を大切にする経営をしようと心に決めたのも、そんな父親の状況を目にして育ったからでした。

 

高校時代、アメリカンフットボールクォーターバックとして活躍したハワードは、スポーツ特待生で大学に入りますが、これがなければ大学には行けなかったかもしれない経済状態だったようです。

 

卒業後ゼロックスのセールスマンとしてニューヨークで活躍、その後マープラスト社に勤務している時に巡りあったのが同社の顧客である「スターバックス・コーヒー・ティー・スパイス」という会社だったのです。当時深煎りのコーヒー豆専門店として営業していたスターバックスでしたが、彼はその深い味わいと経営者のコーヒーに対する思い入れに魅了され、自分を売り込んで入社することになります。

 

スターバックスに入社した彼はその後出張でイタリアに行きますが、今度はそこで目にしたバール(カフェ)の文化に魅了されます。街の人たちが集まりエスプレッソを味わいながらコミュニケーションを交わしている。コーヒーをハブにしてそこにコミュニティができているのです。

 

彼は、スターバックスの素晴らしいコーヒーでアメリカにこの文化を取り入れたいと考えます。アメリカで街中にスターバックスのカフェがあって、人々がそこに集まってくる。それが彼の夢となってきます。

 

しかしこの構想は、スターバックスの当時の経営者たちの反対に会い実現することができません。そこでハワードは一度スターバックスを飛び出し、自分のブランドでスターバックスの豆を使ってこのカフェの展開を始めます。

 

そのうちスターバックスの創業者が引退することになり、それを聞きつけたハワードはシアトル中の投資家から投資をかき集めスターバックスを買い取ることに成功します。現在のスターバックスが誕生した瞬間です。この時彼はわずか34才でした。

 

買収後、彼はさっそくカフェの地域展開を始めようとしますが、彼が望むスピード感に対し、最初のころは関係者も必ずしもポジティブでなく、投資家やメディアもまだまだ懐疑的な目を向けていました。それでも彼は自分のビジョンを信じ、この文化をアメリカ中に広めるのだ、世界中に広めるのだと頑張り、その結果、スターバックスは今や世界で31,000店舗を超え、アメリカ国内ではあのマクドナルドの店舗数を超える存在となったのです。

 

 ハワード・シュルツの教え

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スターバックスに在籍し、日本での拡大の仕事をする中で、ハワードが創り、育んできたスターバックスの経営哲学を沢山学び身に着けることができました。

 

中でも、その独特なブランド創りは大変勉強になりました。

 

第2章でも述べましたが、スターバックスには自らの強みに対する深い信念があります。これを今一度紹介させてください。

 

スターバックスの店舗に入るとコーヒーの良い香りが体を包む。こんにちは!の声と一緒にBGMの粋なジャズの音色が耳に入ります。シュッというスチーマーの音、店員の笑顔、この空間を味合うことこそが顧客にとってのスターバックスの価値なのです。

ハワードはこれを『スターバックス体験(Starbucks Experience)』と名付け、これがスターバックスの価値、スターバックスが顧客に提供する商品の中核だと説きます。

同時にハワードは『スターバックスは顧客にとってのサードプレース(Third Place)になるのだ』と教えます。

ファーストプレースは自分の家。セカンドプレースが社会で自分が属している場所。学校だったり会社だったり。そしてスターバックスは顧客にとって3番目の場所。ほっとした気持ちになって自分を取り戻せる場所、それがスターバックスであり、顧客価値なのです。テイクアウトされたカップにも顧客はこのイメージをダブらせているはずです。

顧客にとっての価値であるこの空間は、すべて店舗の社員が演出します。舞台装置はあるけど、この空間の雰囲気は『人』がいて初めて演出できるものなのです。

ハワードのもうひとつの言葉に、One cup at a time, one customer at a time (一杯ずつ、お一人ずつ)というフレーズがあります。

これは、スターバックスがどうやってそのブランド価値を築き上げていくかのプロセスを表現しています。

顧客がお店に来てくれたその機会に、一杯のコーヒーを提供するその瞬間に顧客はスターバックスの価値に触れる。これを積み重ねて初めてブランドが確立する。一回でもがっかりすることがあればあっと言う間に崩れてしまいます。

『だからスターバックスはコーヒービジネスではなくピープルビジネスなんだ』という信念をハワードは持っています。

ただ、社員がこのブランドの価値を信じプライドをもっていない限り、こんな顧客価値を何千店舗のオペレーションで維持することはできません。

そのために彼はこのスターバックスの価値を何度も何度も繰り返して社員に伝えると同時に、社員と経営の信頼関係を高めるための努力を惜しみませんでした。」

 

スターバックスでは、店舗がブランド創りの檜舞台です。顧客がスターバックスに求める価値の多くの部分は店舗で作られており、それを、パート社員が大半を占める店舗社員が担うことになります。

 

その上スターバックスには、メディアを通じてのコマーシャルは一切流さないというポリシーがあります。テレビで伝えたメッセージを店舗で再現するのではなく、メッセージは店舗が発します。つまり顧客へのコミュニケーションにおいても店舗が唯一のステージであり、その主役はやはり店舗社員なのです。

 

店舗社員が主役であるということ自体、彼らのモチベーションやプライドを刺激して、それが相乗効果となって店舗でのブランド創りに貢献しますが、しかしその反面、各店舗が主役となっているからこそ、企業全体としてブランドの中身や価値を一定に維持していくのは簡単ではありません。

 

これを支えているのが、会社全体のスターバックスブランドに対する思い入れや、店舗でブランドを作るんだという覚悟ともういうべき信念でした。

 

スターバックスでは本社のことを「サポートセンター」と呼びます。本社として管理するのではなく、あくまで店舗のパフォーマンスを最大化するためのサポート役なんだという考えです。もちろんこれだけの大きなチェーン展開をするためには、サポートセンターは大きな管理機能を持っています。商品の開発もサポートセンターが行います。

 

でも大切なのは、「サポート」という言葉の真髄の部分です。サポートすべき対象は店舗におけるブランド創りであり、店舗社員が生き生きとして、しかもスターバックスの道からは外れず、店舗において顧客とのインターフェースの中でブランドを創っていける環境を作ることです。まだ急成長中だった当時のスターバックスには、特にこのフィロソフィが色濃くありました。

 

スターバックスの顧客価値は例えば「サードプレース」で表現されるなど、その業態から言ってもロケットサイエンスではないので、比較的分かりやすいものかもしれません。しかし一方で主観的にもなりがちで、チェーン展開をしながらブランドを一定に維持する上でチャレンジでもあります。

 

これに対し、特にハワードは、ブランド創りの「試行錯誤」を広く容認する姿勢を示していました。もともと店舗で創っていこうとしているブランドですから、ここは重要なポイントでした。

 

スターバックスには「Just say yes (まずはYesと言おう)」というポリシーがありました。今もあるのではないかと思います。これは主に顧客対応上のコンセプトで、例えば既存の商品に何か少し変更を加えてほしいというリクエストをもらった場合、まずは現場の判断で「やってみよう」という姿勢で構わないというフィロソフィです。正確に言えば「Just try to say yes (お応えできるようトライしてみよう)」という方が当たっているかもしれません。

 

このフィロソフィはチェーン展開にとって多少のリスクは孕むものの、スターバックスの強みをさらに高める上で効果的なのです。社員は、顧客の期待に応えようと悩み、努力し、満足してもらうことで自分が主役であることをより実感できます。また、顧客のリクエストには、商品やサービス改善の上で多くの情報があり、これに対応できないかトライしてみることは、常にブランドを向上していく上で有効に働きます。

 

ハワードの「試行錯誤」の例として、自動エスプレッソマシンの導入の件が思い出されます。スターバックスの店舗では、今は自動マシンが当たり前となっていますが、日本で急拡大をしていた初期の時点では、アメリカ市場も含めまだマシンは全部手動のものでした。

 

そこへ高性能の自動エスプレッソマシンが登場し、これをスタンダードにするべきかどうか大きな議論となります。味もまったく遜色ないほど高性能で、店舗のオペレーションの効率性を考えれば、早く導入すべきと多くの人が考えました。

 

でも、ハワードは当初、これにあまり乗り気ではなかったと聞いています。手動のマシンで入れる時のシュッという蒸気音や、これを巧みに扱うバリスタ(店舗社員)の仕草にスターバックスの味があると言うのです。これを自動にしてスターバックスの価値は維持されるのか?これがハワードの疑問でした。

 

私は詳しい議論には参加しなかったのですが、このハワードの投げかけを契機にアメリカも含め、社内のいろんなところでこの議論がなされたのを覚えています。今から思えば、ハワードの本当の狙いはここだったかもしれません。時代には逆らえないし、ブランドは進化していけばいい、でも店舗社員も含めたすべての社員がこのブランド変化にオーナーシップを持ち、変化の過程に参加していく、これがスターバックスなんだと考えたのかもしれません。

 

 ■経営者の役割

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日本のスターバックス店舗で佐々木主浩選手(当時シアトル・マリナーズ)と。 当時、スターバックスジャパンは佐々木選手の協力で高校生の留学支援プログラムを進めていた。

 

こうして独特な社風の中で、独特なバランス感覚で「店舗でのブランド創り」が維持されていたスターバックスですが、日本での初期の急成長の過程でも、この社風をいかに再現するかが大きなミッションでした。

 

当時、スターバックスジャパンはスターバックスUSとサザビーリーグの50:50のEvenの会社として設立されており、サザビーリーグが日本におけるスターバックスのパートナーでした。

 

サザビーリーグは、今更説明するまでもなく、常に新しい時代の風を提案してきた企業で、当時も次々と新しい生活スタイルのブランドを導入していました。ファウンダーの鈴木陸三さんの盟友である森正督さん(現・取締役会長)がスターバックスジャパンのボードに入り、鈴木さんのお兄さんの角田雄二さんがスターバックスジャパンのCEOとなり、サザビーとして深くスターバックスジャパンの経営に関わったのです。

 

両社の価値観は見事に一致し、サザビーの持つ自由な社風がスターバックスのそれとコラボし、サザビーの存在がスターバックスの価値を日本で展開する大きな力となっていきます。

 

こうしてスターバックスUSのDNAを受け継いで誕生したスターバックスジャパンは、成長過程においても、その独特の社風やブランド創りのプロセスを、日本市場において忠実に再現していくことになります。

 

あれから20年経った今、日本のスターバックスの店舗には当時と同じ空気が流れ、店舗の社員はあの時と同じように笑顔で店舗の主役になっています。初期の成長期に関わった一人として、私もスターバックスに行くたびに彼らのホスピタリティをエンジョイし、幸せな気持ちにさせてもらっています。現場は経営を映す鏡です。きっとその後もすばらしい経営が保たれてきたからだと思います。

 

このように、スターバックスの経営スタイルは独特なのですが、これを支える制度に、魔法や傑出したアイデアがあるわけではありません。人事制度においても然りです。制度なら、世の中には専門家が作ったものがいくらでもあります。要は、いかに経営が制度に血脈を送り込むことができるかだと感じます。

 

そのためには社員との信頼関係が何より大切になります。経営が考える企業価値を常に社員とコミュニケーションすること、そしてその価値の創造に社員を参加させることが始まりです。

 

そしてこのプロセスを実のあるものにするためのベースが、社員へのリスペクトです。一人の人間としてリスペクトすることはもとより、一人のプロとして扱い、そのキャリアに責任を持ち、社員にもプロとしての自覚を持たせ、双方向のコミュニケーションを継続することで信頼関係を維持し高めていくことだと思います。

 

ハワードの自著で、スターバックスのブランド創りについて彼が語っている書籍があります。『スターバックス成功物語(日経BP社/原題:Pour Your Heart Into It)』という本で、日本での初版が1998年ですからもう随分時間が経っています。私は今も時々読み返し、楽しんでいます。経営トップの自叙伝的な書籍には、時として綺麗事が並び、社内の実際の空気からは乖離していることも間々あるのですが、この本にはハワードの本当の気持ちが素直に表現され、凝縮されています。私自身、彼自身から同じ内容の話を何度も聞かされており、とても愛着を覚える書籍です。

 

彼の言葉にはいつもインスパイアされますが、この本の中で特に彼らしい思いのこもったメッセージを2つご紹介します。

 

“経営者が、社員を取り換えが効く歯車のように扱えば、社員も同じような姿勢で経営者に対することになる。社員は歯車ではない。彼らは人間であり、皆、自分に価値があることを実感したいし、自分や家族の必要を満たすための収入も得たいのだ。この社員のひたむきな献身がなければ、スターバックスは繁栄することも、顧客の心をとらえることもできないのだ。”

 

“事業計画などは単なる紙切れにすぎない。いかに見事な事業計画でも、社員がそれを受け入れてくれなければ、何の価値もないのだ。社員が経営者と同じ気持ちになり、心底やり遂げようと決意しなければ、事業を継続することはおろか、軌道に乗せることすらおぼつかない。そして社員は、経営者の判断が信頼でき、なおかつ自分たちの努力が認められ、正当に評価されるのだと実感した時、はじめて計画を受け入れる。”

 

 ■ウォリアーズとスターバックス

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 40年離れていたウォリアーズの現場に戻って来たとき、この高揚感はどこかで経験したことがあると感じ、直ぐにそれがスターバックスだったと気づきました。

 

今、ウォリアーズに若者が集まり、価値観を共有し、まだ現実には誰も見たことのない世界に行こうとしています。一人ひとりが考え、互いをリスペクトしながら、時に議論しながら、チームとしてひとつのゴールを目指しています。「日本一」という言葉はそれまでもありました。でも今はそれを現実として目指し、そこに向かう道を、蛇行しながらも歩き始めているのです。

 

一方、スターバックスが日本に上陸した時点では、ミルクを多く使う商品カテゴリーも、紙コップで提供することも、テイクアウトが中心となることも、そして禁煙ポリシーもどれも日本の顧客にとってはまだ珍しく、これが本当に受け入れられるか懐疑的な論調もありました。

 

しかし、このブランドは誰もが驚くペースで市場に受け入れられ、店舗数も急拡大をしたのです。その中心となったのは、自らがこのブランドのファンとなり、その価値を信じた若者たちでした。この素晴らしいブランドを日本に広めていこうと、社内はまるで文化祭のような盛り上がりでした。

 

何度も述べましたが、企業の経営と運動部の指導には多くの共通点があります。どちらも究極、いかにそのメンバーを活性化するか、各メンバーがどれだけ自律的に、かつ規律を持ってチームのゴールに貢献できる環境を作るか、そこに命運がかかっているからだと思います。企業の価値は結局のところ社員の価値の総和だし、運動部の力も部員の力の総和であり、それ以上のものではないからです。

 

店舗社員を主役にすることで他に追随を許さないブランドを築き、スターバックスはすでに世界でもトップクラスの企業となりました。ウォリアーズもいつの日か、日本を代表するチームのひとつになれるよう、法人として支援を続けていきたいと思います。

 

次章「第10章 トップと現場」に続く。

 

コメント

森 清之(もり きよゆき)さん

東大アメリカンフットボール部・ヘッドコーチ

f:id:tokyowarriors:20200323180002j:plain3年前に東大の練習を始めて見た時、本当に真面目に一生懸命頑張っているな、というのが偽らざる第一印象でした。と同時に、一番の強みがあまり活かされていないな、とも感じたことをはっきりと覚えています。

 

決して学生たちのやろうとしていることが的外れであったわけではありません。しかし、必死で頑張っているが故に、視野が狭くなり、思考停止に陥っているように私には思えました。思考停止だと感じたのは、誰かに教えられたこと、先輩がやっていたことを「とにかく頑張って」やり続けているうちに、その練習を行う目的やポイントが徐々に忘れられていったり、捻じ曲がったりしていたように見えたからです。

 

そしてそのことに気づいて指摘をする者は誰もいませんでした。日々の練習によって目的や目標にどれだけ近づいたかよりも、どれだけ頑張ったかに皆の関心がありました。そこには、勝つための、強くなるための、上手くなるための『具体論』が欠けていました。勝つために「とにかく頑張る」ことが、学生たちを思考停止に陥いらせていたのです。

 

また、学生たちは、心の奥底では、日大、早稲田、法政を始めとした私学強豪校に勝てるとは全く思えていませんでした。学生たちにとってトップクラスの私学強豪校は別世界。そして、そう思っていることに対して真剣に向き合うことから逃げていました。敢えて厳しく過激な言葉で表現すると、彼らは「絶望的な努力」をしていたのです。

 

ウォリアーズには私学強豪校と比べると極めて大きな制約があります。スポーツ推薦がなく、加えて、日本でもトップクラスのタフな入学試験を突破しなければならないリクルーティングはその最たるものです。しかし、裏を返せば(トータルのプラスマイナスは別として)実はここに我々の強みもあるのです。

 

東大に合格するためには、ある程度の地頭の良さに加えて、(多くの人にとって)大して面白くもない受験勉強を、様々な誘惑に負けず地道に継続していくことが必要です。つまり、東大生は、目標を達成するために必要なことをストイックに継続していける力のある者が多い集団と言えます。受験のために勉強したこと自体はアメフトにはほとんど役に立ちませんが、目標を達成するために適切な作戦を立て、それを実行していくプロセスは競技スポーツ(勝利を目標とするスポーツ)においても全く同じです。物事を成し遂げるために極めて重要な「持続する意志」を持ち、大学受験の中でトップレベルの東大入試を突破したというレベル感と成功体験を持っていることは大きな強みです。

 

したがって、目的や目標を明確にし、「常に自分の頭を使って考える」カルチャーをチームに根付かせることが、我々にとって当面最もプライオリティーの高いことだと考えました。具体論を積み重ね、着実に力をつけることによって自信をつける、というごくごく平凡なことを愚直に繰り返すことを求めました。しかし、このことは、それまでの自分たちのやり方を、ある意味では否定されることでもあり、学生たちにとって、特にプライドの高い東大生にとっては、かなり厳しいことだったと思います。初年度(2017年)は、結果としては決して思うようなものではありませんでしたが、苦しい1年ながらも主将の遠藤を始めこの年の4年生の努力が大きなターニングポイントになったのは紛れもない事実です。

 

翌年、チームは初めてのTop8昇格を果たし、Top8での戦いは今年で2年目を迎えます。自分の頭を使って考え、具体論を積み重ねるカルチャーが根付きつつある現状を考えると、チームはそろそろ次の段階に進みつつあると見ています。日本一という目標を考えると、これでようやくスタートラインに立てたというところでしょうか。ここからは、「何をやるか?」よりも「どこまでやるか?」の重要性が徐々に増してきます。ここまでの成長の原動力となった「考える」ことが、時と場合によっては、マイナスに働くことも有り得るというジレンマにも直面する事もあるでしょう。目標を達成するためには、当然これまでとは次元の違う厳しさが求められます。

 

東大がスポーツで日本一になるという、ある意味で分不相応な目標を達成するための原動力は、学生たちの挑戦心や努力であることは間違いありませんが、分不相応な目標だからこそ、学生たちの力をより大きな成果に結びつけるための環境整備は極めて重要です。その役割を担う法人(一般社団法人東大ウォリアーズクラブ)は、現場の我々にとって非常に心強い存在であり、チームの一部です。形式上、「チームの運営を委託された団体」なのかもしれませんが、我々にとっての法人は、それぞれ立場や役割は違うものの、共通の理念、共通の目的、共通の目標、そして共通のカルチャーを持つ『チームメイト』なのです。アメリカンフットボールは組織の総合力で勝負が決まる競技です。これからも一緒に強くなり、目標に向かって共に戦っていきます。

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第8章 リスペクト

前回、「会社で夢中に仕事ができる環境が少なくなった」というお話をしましたが、なぜこうなってきてしまったのか、どうすればここから脱することができるのかについて私自身の考えをご紹介したいと思います。

 

今回はフットボールのことよりビジネスの話が多くなります。また、少し長く、細かい話も出てくるのですが、辛抱してお読みいただければ幸いです。

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ウォリアーズが掲げる理念「未来を切り拓くフットボール

 

 1.   なぜ社員は元気を失ったか―「リスペクト」と「契約的信頼関係」

 

サラリーマンがハッピーな時代がありました。少なくともバブルがはじける前まではそうだったと思います。しかし今の勤め人は幸せに見えません。元気もありません。これが日本企業の元気のなさとかぶります。

 

昔の勤務は今の定義でいえば結構ブラックでした。総労働時間も今は劇的に減っています。以前は土曜が半日出勤の時代さえありました。また、物理的な生活レベルも金額で表せばかなり低かったはずです。

 

それでもサラリーマンの将来は明るいものでした。社会全体が成長しているという追い風もあり、会社もずっと伸びていくものとみんな思っていました。自分のリタイアまでの絵が描け、それを信じてローンを組んで家も買いました。

 

そのころ、特に大企業に勤める人たちにとって、キャリアとは社内で自分が歩んでいく道のことであり、そのキャリアを目指してがんばることができました。周囲はライバルであると共に仲間でもありました。この勢いが、世界を驚かせた日本企業成長の原動力の大きな部分であったことは間違いありません。

 

しかしこの仕組みがいつしか壊れてしまいました。

 

世界経済の波に追いつこうと何とか方向転換はしたものの、国際的な位置付けは下がり、以前のような成長基調の企業が少なくなってしまいました。企業は変化することが宿命ですが、それまでの量的な急速拡大という変化には乗ったものの、質的な多次元にわたる変革のドライブができなかったというべきでしょうか。

 

結果、サラリーマンは社内で自分のキャリアを描けなくなってしまったのです。

 

日本人が元来持っている力やこれまで先達が蓄えてきた歴史を考えれば、もう一度日本企業全体が力を発揮して、以前のような輝きを取り戻したいものです。そのためには働く人たち、ビジネスパーソンたちが今一度元気と輝きを取り戻すことが必須です。

 

では、どうすれば今日的環境の中で、今一度日本のビジネスパーソンがハッピーで前向きなエネルギーを持って働くことができるようになるのでしょうか。

 

そのためには2つのキーワードがあると私は思っています。それは「リスペクト」と「契約的信頼関係」です。

 

「リスペクト」とは経営者が社員をプロのビジネスパーソンとして認め、相応の扱いをし、プロにふさわしい環境を提供すること、そして社員もプロの自覚を持って自分を律していくこと、一方で「契約的信頼関係」とは、経営者と社員が互いへのリスペクトをベースに、働く上での約束事を明確な形で交換しておくことを意味します。

 

2.社員への「リスペクト」の意識とは

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ビジネスパーソンにとってのキャリア

 

ビジネスパーソンにとってキャリアは大切です。こんな道を歩いていきたいと追い求めること、これがビジネスパーソンの原動力です。しかし社内ではそのキャリアを描きづらくなっています。この結果、やる気があって力のあるビジネスパーソンが、人材市場に機会を求め、複数の会社を渡りながらその道〈キャリア〉を達成しようとすることが特別なことではなくなってきました。

 

ビジネスパーソン側には自分の考えや責任でキャリアを作っていく意識を持った人が増えてきました。プロとしてパフォーマンスを上げながら常に自分の市場価値を上げていくことが自分のキャリアに直結するからです。これは至極当然なことで、ひとつの会社のお抱えで自分の人生を決めてもらうこと自体そもそも不自然だったのです。

 

ただ問題は、社員をプロとして扱おうというスタンスにある会社がまだ少ないこと、言わばビジネスパーソン側から見てプロが活躍する社会基盤が脆弱なことです。

 

■経営者に求められること

 

経営者の重要な仕事のひとつは、会社の事業のゴールを明確にした上で、そこに到達するために現在の社員をどんな方向にどうやって育成するか、そして足りない部分は外からの採用で埋める、この計画とプロセスをきちんと作ることです。

 

しかし、このプロセスを戦略的に考え、計画し実行している経営者は残念ながら多くはありません。事業を進めてみてから人材が足りないことに気づき、慌てて好条件で採用する。このため結果として既存の社員は育成されず、事業の変化から外れてお荷物になってしまっている。言うなればその場しのぎの「人材計画」が横行しているのです。

 

もしかすると、経営者としての基本の教育を受けずに、会社の日々の事業への貢献の結果として経営のレベルに昇進した人たちが多くなってきたからなのでしょうか。

 

こういう状況では、社員には自分のキャリアは見えなくなり、たとえば今から5年間、自分にはどんな機会が与えられ、どれだけビジネスパーソンとしての市場価値を上げることができるか見当もつかなくなります。中途で入った人たちもすぐこれに気づきます。プロ意識を持っている人から見れば「ここにいても意味がない」状況となります。

 

■意味のある転職とは

 

転職で給与やポジションが上がって「得した」という話を聞くことがありますが、基本的に人の市場価値は転職によって上がるものではありません。自分の市場価値を上げ、それに見合ったジョブと出会い転職をすること、さらに上を目指すことのできる転職をすること、これが意味のある転職です。

 

転職が増えること、これは健全なことで、各ビジネスパーソンは自分のステージや市場価値に合ったジョブを見つけ、会社の方も今の事業に必要な人材を求め採用し、チームを常にリニューアルしていく。そのプロセスの中でお互い緊張感を持った信頼関係を結んでいくことで人材市場は活性化し、企業の事業展開を押し上げます。

 

ここで言っているのは、決して「短期間で人を入れ替えるべき」ということではありません。会社自体が、環境変化に対応し変化しながら成長する中で、常にクリアな事業計画と人材計画を持ち、この計画を遂行するために必要な人材を内外にフェアに求めていくということなのです。

 

これは決して使い捨てではありません。むしろその逆です。事業計画に連動した人材計画があるわけですから、十分な期間を取って人を計画的に育成することができます。企業にしてもすでに雇用し、その能力を認めている社員を育成して人材需要を埋める方が、リスク管理の点からもコストの面からもうんといいはずです。かつ、これは社員からみて大変モチベーションの湧く状況であり、会社と社員の信頼関係構築にも大きく貢献します。また社員との信頼関係ができている会社は中途採用候補者にとっても魅力的で、良い人材が採れるエンジンにもなります。

 

このように、企業が社員をプロのビジネスパーソンとして認識し、彼らの市場価値向上と会社の成長とを連動させようとすること、これこそが企業がベースとして持つべき社員への「リスペクト」の意識です。

 

ならどうやってリスペクトの風土を作っていけばいいのでしょうか?

 

■リスペクトの実現

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「うちは人を大切にしている企業」と宣言している会社は多く、人材をあえて「人財」と置き換えることも流行しています。しかし、本当のリスペクトを実現している会社は多くはありません。

 

リスペクトを実現するためのベースとして人事制度そのものはもちろん大事です。いわゆるメンバーシップ型からジョブ型に転換することがスタート地点になります。職能資格から 職務等級への転換、新卒中心から中途採用拡大へ、市場価格重視の賃金水準などなど、このあたりは専門家から多くの情報が発信されています。

 

しかし、こういったアイテムが導入されてきてはいるものの、運用の段階になると旧来のマインドが色濃く顔を出し、せっかくの新制度が効果的に運用されていないのが現状です。 

 

新制度導入時には経営が「人財を大切にするため」という意気込みを宣言したりします。しかしそのことで、社員がかえってしらけてしまうことすらあります。残るのは人事コンサルティング会社からの多額の請求書だけという皮肉な結果が見えます。

 

長年染みついた風土・文化を変えるのは容易ではありません。新しい制度を入れても、そもそも運営の責任者である経営者や管理職は、これまで通りの世界しか経験していないことがほとんどです。

 

そこで、社員のリスペクトを進める新制度を本気でやろうとするならば、2つの重要なアクションを本気で進める必要が出てきます。

 

3.事業計画と人材計画の連動 ~ 重要アクション

 

■事業計画に綿密な人材計画を織り込む

 

ひとつは事業計画の中になるべく綿密な人材計画を織り込むことです。

 

事業計画を策定するとき、たとえば3年後のP/L(損益計算書)の数値はしっかりと作るはずです。売上、費用、利益の数値をどう組み立てるかブレークダウンし詳細な分析をして、ロジックをきちんと組み立てることはやるでしょう。

 

こうやって描いた事業計画を実行するためにそれ相応の人材が必要なことは当然ですが、人数の計算はしているものの、その内容についてはきっちりと詰め切っていない事業計画が多いのです。

 

例えばここに3年後にある数値を達成するための事業内容があります。その事業を遂行するための人数と人件費は当然計算します。しかし大事なのはその次のステップで、事業遂行のためのその人数の中身はどうなるか、どんなレベルのどんな技能の社員がそれぞれ何人ずつ必要となるか、この組み立てを実感を持って詳細に行うことが大切です。これには経営企画のメンバーだけでなく、事業の各パートの現場感覚を持つ社員も参加するべきです。

 

こうして3年後の目標の事業遂行のための社員のチームメンバーの詳細が、経験、技能等のレベルにより明確化されることになります。これを仮に3年後の「人材ポートフォーリオ」と呼ぶことにします。

 

■個々の社員のレベル、経験、技能の明確化

 

次は現状の社員のレベル、経験、技能を分析し明確化することです。この「現状」からさらに3年間の予想退社人材を除いたもの、これが出発点となり、この出発点と3年後の人材ポートフォリオのギャップ分析が次の作業となります。ギャップがわかり、このギャップを埋めることが3年間の人材計画で、活動の中身は育成と採用です。(図2)

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図2

通常の事業計画には必ず採用数や既存社員の育成の計画も含んでいるものですが、ゴールでの人材需要を詳細まできちんと視野に入れた計画は滅多になく、この結果、社員の育成計画と現実とに齟齬が出たり、結果としてその場しのぎの中途採用や勢いで新卒数を決めるなど、アクションがバラバラになる原因になります。

 

4.個別の社員との一貫したコミュニケーション ~ もうひとつの重要アクション

 

■双方向のコミュニケーションがとれているか

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こうして、もし中期の事業計画にきちんとした人材ポートフォリオの概念が織り込まれていれば、既存社員の中からどんなタレントをどれだけ育成しなければならないかもクリアになってくるはずです。このゴールがあれば、会社は誰をいつまでにどこまで引き上げたいか、具体的なストーリーを作ろうとするはずです。そしてこの意図をそれぞれの社員にいろいろな形で伝え、育成のための計画についても双方向のコミュニケーションが起きてくる。これこそ会社と社員が一緒に成長しようという計画です。

 

ただ、これを前に進めるためにはもうひとつ乗り越えなければならないハードルがあります。それは会社と個々の社員とのコミュニケーションの部分で、ここがどうしても貧弱な企業がまだ多いようです。このコミュニケーションの強化が社員への「リスペクト」を進める上での2つ目の重要なアクションなのです。

 

ここで言うコミュニケーションとは、特別に新しいコンセプトのアクションのことではなく、すでにほぼすべての企業で制度化されているアイテムのことです。例えば個々の社員の年度毎の目標設定、中間評価/フィードバック、期末評価、評価の給与/昇格等への反映などの年間行事とともに、もう少し長期的な育成計画やキャリア計画といった部分のコミュニケーションのことです。仮に「評価・育成制度」と呼ぶことにします。

 

この「評価・育成制度」は、多少内容の違いはあっても、どこの企業でもかなり以前から取り入れられています。しかし制度の目的は立派で、額面通りに動けば行き届いたものであるのに、実際にはその運用が形骸化しており、残念ながら「社員へのリスペクト」を果たすプロセスとして十分には機能していない場合が多いのです。

 

このような、評価・育成について機能低下に陥っている典型的な企業の例をお話します。

 

■おざなりな評価・育成プロセスの弊害

 

この企業では、毎期末、評価の時期が来ると、管理職(評価者)の多くは、忙しく時間のない中で何とか評価面談をこなそうと四苦八苦します。評価結果の説明も必ずしも納得のいくクリアなものでない場合が多く、評価を受ける側としてもおざなりの印象を持ちがちです。

 

その後の2次(最終)評価になると問題はもっと深刻になります。1次評価をもとに、同組織・同ランクの社員の評価は、結局のところ正規分布のベルカーブの中で並べられ、マジョリティが中間レベルの評価ゾーンに入ることになります。しかもこの2次(最終)評価のプロセスがきちんと個別社員に説明されず、結果だけが書類/メールの形で伝えられるケースが多く、その結果、社員としは自分の評価について納得のいく基準を見つけられなくなります。

 

これに加え、期初の目標設定やその評価基準があいまいなことで、結局、評価のコミュニケーション自体もあいまいな雰囲気に終始してしまう例が多々見られます。

 

そしてもっと課題の大きいのが評価に基づく育成・キャリアについてのコミュニケーションです。そもそも各上司(評価者)は個々の社員のキャリアの可能性について、具体的で意味のある情報を持っていないし、どうコミュニケーションをすればいいのか必ずしもそのスキルを身につけていないのです。

 

本来、「評価・育成プロセス」での面談は、会社/上司が個々の社員と向き合い、その育成・キャリアについて真剣に議論し、信頼関係を築いていく絶好の場なのですが、残念ながらこの企業では社員からの信頼を失う場面になってしまっているのです。

 

これはある企業の例ですが、同様の悩みを持つ企業は数多くあり、これが企業の中での社員へのリスペクトが維持されず、社員が夢中になって働こうという環境ができない大きな原因のひとつになっていると感じます。

 

なぜこうなってしまうのでしょうか?

 

これまでのパートナーシップ型雇用や無限定正社員が主流であった時代の「評価・育成のプロセス」は曖昧な要素が大きいものでした。この曖昧さに対して会社、社員両者とも無言の納得感があり、「いずれにしても長期で勝負」という逃げ道が気持ちの中にあったように思います。制度だけ「ジョブ型」に転換した場合でも、これまでに出来上がり染みついた文化が日本の企業にはいまだ強烈に残っている場合が多い。この風土が原因で、現行制度の曖昧な運用がそのまま放置されてしまっているのではないかと思います。

 

この殻を破り、社員へのリスペクトを実現するためには、会社と社員がお互いプロとしてのコミュニケーションを行える「契約的信頼関係」を構築する必要があるのです。

 

そのために、すでにある「評価・育成制度」の運用に魂を通わせるべく2つ大事なポイントがあると考えます。

 

■「評価・育成制度」の2つの大事なポイント

 ①管理職(評価者)への意識付けとサポート

評価・育成制度の運用が上手くいかないことに対して、各レイヤーの管理職(評価者)が犯人扱いされる場合が多いのですが、実は彼らはむしろ犠牲者だと思います。

 

多くの会社で見てきましたが、管理職になると「評価・育成ができてこそ管理職」としていきなり多くの荷重を与えられます。でも、彼らの勤務状況や職場の現状を見れば、制度が要求しているような丁寧な評価・育成のアクションができる環境にない場合が多く、そんな中であるべき論だけ押し付けられ「やって当たり前」のプレッシャーで片づけている現場をよく見ます。

 

しかも、一般的な管理職トレーニングはあっても、部下との間でこのような内容のコミュニケーションをどのよう進めるべきかについて有効な教育はあまりされません。そもそもこういう企業の場合には、この管理者が一般社員だった時に管理者から然るべき扱いを受けていないため、経験値から言ってもどうしていいのかわかりません。おまけに彼/彼女の上司の管理職の人たちも同じ状況のためOJTも進みません。

 

「評価・育成」を制度の目論見通り進めるようとするなら、まずは管理職へのリスペクトを高め、彼ら/彼女たちが十分に活動できる環境を整え、また然るべき教育のサポートを与えるべきです。そして彼/彼女自身の目標設定の中にも「部下の育成・評価」をきちんと入れ、その実行をその上の管理者がサポート、フォローしていくことが必要です。

 

 ②経営者のコミットメント

この「管理職へのリスペクト」を実現するためには経営レベルのコミットメントが必須になります。前述のように「評価・育成制度」は日本の企業ではあまりに昔からある当たり前のプロセスであるために、経営から見ても「現場で良きに計らえ」的な位置づけが多いようです

 

そうではなく、企業が人材活用について本質的転換を果たしていくためには、経営者自らが今一度この部分に深く入り込み、制度の詳細やその運用の実態が「現場の活性化」という思惑どおりに機能しているかどうか、確認をするべきだと思います。そしてそこで見つかった課題の解決に経営がきちんとコミットしていくことが何より大切です。

 

実はこの「評価・育成」のプロセスですが、経営に近いレベルに行くほど形骸化している例を何社も見てきました。経営といっても、取締役会やホールディングスの幹部の場合は少し今回の話からは外れるかもしれません。いわゆる実業を持つユニットの幹部社員のあたりの課題です。長年の付き合いがあり、日ごろから近しく業務をしているからでしょうか、公式なプロセスとなると照れもあるのか「今更あらたまっても」の雰囲気が出てしまい、本来あるべき真剣な議論が持たれないということがあります。

 

ここは、会社全体に「評価・育成」プロセスをきちんと行き渡らせるためにも、まずは経営に近い幹部社員が居住まいを正すことから始めたいところです。

 

 

5.ウォリアーズでの学生の育成

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新人戦:1年生にとって初めての試合

翻って今日の運動部の学生をどう育成していくかを考えるとき、今の企業が直面する課題とオーバーラップする部分があります。

 

大学のスポーツは4年間という限られた時間です。この中で一刻も早い育成が必要になりますし、学生側もこの4年間で言わば学生スポーツでのキャリアを全うしなければなりません。

 

40年ぶりに現場に戻ってきた私は、学生たちの部活動への姿勢が大きく変わっているのに驚きました。

 

■納得した時に最も大きなエネルギーを発揮

 

強くなりたい、うまくなりたいという気持ちの強さは変わっていませんが、アプローチの仕方、その背景にある気持ちの持ち方は大分違います。昔との一番大きな差は、何をやるにも彼らには納得感が必要だということです。言われたことをやみくもに必死でやっていく、昨日より今日が少しでも進歩すれば、という気持ちではなく、なぜそれをやるのか、やるべきことを理解し納得した時に最も大きなエネルギーを発揮するようです。これは東大だけでなく他大学でも起きている変化だと聞きます。

 

東大ウォリアーズヘッドコーチの森は現代の学生のこのメンタリティをいち早く把握し、その指導に活かしています。森は京大やXリーグの指導者時代にはかなり厳しいことで有名でした。しかし今は一変して学生の気持ちを理解し、指導の実を上げています。言わば運動部の指導者として学生に対するリスペクトを示し、同時に彼ら自身に自律の心を育むよう厳しく求めているのです。

 

「今の若い人は・・・」という言い回しがあります。主にネガティブな内容に使われますが、これほど長きに渡り日本人が口にしてきたフレーズはないかもしれません。古文書にさえ出てくると聞いたことがあります。かく言う私も若いころ言われましたし、いまだに同年代の連中の口からよく聞きます。

 

それほど若者がいつの時代も問題を抱えているのか、それとも大人たちは自分が若かった時のことはさておき若者の未熟さが気になってしまうのでしょうか。

 

■社会の変化を先取りしている若者たち

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私はウォリアーズを通して「今の学生」と付き合ってみて、実は学生たちが社会の変化を先取りしているのだと考えるようになりました。先取りしているからこそ、それについていけない年配の人たちは違和感を覚え「今の若い人は・・・」と感じるのだと思うのです。

 

いつの時代も若者は親や社会に育てられ大人になります。この過程で親や社会、学校は若者の将来を思い、これからの社会を背負うべき人間としの期待を込め教育をします。それが自然に若い人たちの態度や行動に反映される。つまり、「今の若い人」が映しているものは、社会が「変わらなければ」と悩みもがいている姿そのものなのではないかと思うのです。

 

個人に対するリスペクトの問題もそうです。実は親の世代が自分たちの反省から必要と感じていることで、それを若者が敏感に感じより大切にしたいと考え始めているのではないでしょうか。

 

ひょっとすると企業の経営者がこういった変化へのアジャストが一番遅れているのかもしれません。

 

ウォリアーズに戻り、森が学生たちを指導する姿を見て、卒業後ビジネスパーソンとしてずっと考えてきた「リスペクト」の考えが正しかったのだと思うことができました。

 

次回は、現在のスターバックスの創設者、ハワード・シュルツから受けた教えについてご紹介いたします。ハワードは私にとっては原田泳幸とともにビジネスの師匠なのですが、彼から受けた「社員をリスペクトする」というフィロソフィは、私のビジネスパーソンとしての根幹となり、また㈳東大ウォリアーズクラブを通してウォリアーズの学生たちの世話をする上でも大事な考え方になっています。

 

 

次回「第9章 ハワード・シュルツの教え」に続く。

 

 

コメント

唐松 星悦(からまつ しんえ) さん

2020年度 主将/LT (Left Tackle)

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2020年度の主将を任されてチーム作りのスタートを切ったところですが、今年ウォリアーズをどんなチームにするべきか、考えれば考えるほど正解がないことに驚いています。

 

BIG8からTOP8に駆け上ったウォリアーズですが、その変化が激しかっただけに、この3年間、正直、学生たちは暗中模索の中で必死にもがいてきた感がありました。そして初めてTOP8に上がり、留まり、今年はいよいよ「勝つべくして勝つチーム」に生まれ変わらなければならないステージだと自覚しています。

 

それでも、どんなチームにすればよいのか、どんなチームが日本一を目指せるチームなのか、答えが見つかっていないのです。

 

しかし悩みの中にあって、今は、完全にクリアなゴールがなくてもいいのかもしれない、誰も経験していないことを具体的にビジョンするなんて無理だと考えていいのではないかと思うようになりました。

 

大事なのは、日本一になれると信じてそのためにはどうすればいいか、あるべきチームの姿を常に求め続けること、そして、とにかく今見えるチームのゴールの姿に向かうべく、あらゆる努力を傾注していくことなんだろうと考えているのです。

 

そのためには4年生の役割がとても大切になります。ウォリアーズは上下関係の少ないフラットな組織ではあるけれど、今の4年生が、これまで経験してきたこと、先輩たちから受け継いできた「勝つイメージ」を3年生以下の部員にいかに鮮明に伝えることができるか、そしていかに彼らに本気で日本一を目指すことを信じさせることができるか、これがウォリアーズのパフォーマンスを決めていくことになります。

 

この3年間の変革で、ウォリアーズにはトップチームとしての土台ができつつあり、部活動の環境や部員が体得している理論も既に一定のレベルに達していると思います。しかし、これからが本当の勝負で、これら土台の上に「勝利につながる取り組み」を築いていかなければなりません。目先に惑わされることなく、ゴールを常に見据え、本気で勝ちにいくための練習を日々積み重ねること、私たちのやるべきことはこれに尽きます。

 

私はこの度ALL JAPANに選ばれチームに参加してきましたが、このこともあくまで東大を日本一にするための手段であり、過程であると思っています。代表経験をいかにチームに有効にフィードバックし、チームワークやチーム力向上につなげるかが私の宿題です。

 

21歳と若輩の私ですが、この一年、チームを日本一にするために全てのエネルギーを注ぐことは、他のどんなことよりもやりがいがあって面白いし、このチームで日本一を目指すプロセスは人生のエッセンスが凝縮されていると確信しています。

 

ただ、求めているのは思い出や経験ではなく、あくまで勝利です。

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第7章  執 念

■勝利への執念 ― 森清之が讃えたプレー

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2018年度のシーズンが終盤となったところで、6戦全勝のウォリアーズは桜美林戦を迎えます。桜美林大学も6戦全勝、勝った方が来年度TOP8(関東学生アメリカンフットボール連盟の最上位リーグ)への自動昇格が決まるという大一番でした。満員のスタンドの中での試合です。

 

前半が終了した段階でウォリアーズは9対14のビハインド。巻き返しをと意気込んで後半に臨みます。最初のプレーはこちらからのキックオフ、桜美林大学のリターンです。

 

フットボールでは、前後半の最初や点が入った後、キックオフとなりますが、両者が距離を置いてスピードに乗り、正面から激突するというなかなか見ごたえのある場面になります。キックオフでボールを蹴りこまれた側のチームが自陣の30ヤードくらいまで戻せばまあまあ、それ以上、たとえば敵陣に入るところまでいけばビッグプレーとなります。

 

前半でリードを許していたウォリアーズは最初のディフェンスで相手をきっちりと止め早く反撃に転じたいところです。ところが、この最初のキックオフで独走を許し、自陣深くまで走られてしまいます。何とか自陣3ヤードというギリギリで止めたものの、ベンチやスタンドには「これはもう仕方ないからこのあと切り替えよう」という空気が漂います。

 

ところがこのあとウォリアーズのディフェンス陣が執念を見せ、相手の4回のプレーを何と自陣1ヤードで止めるという大殊勲を上げます。そしてオフェンスが奮起し逆転し、その後の追い上げも再び食い止め、試合に勝利、ウォリアーズは悲願のTOP8昇格を掴みます。

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試合のポイントは何と言ってもゴール前1ヤードで止めたディフェンスの集中力と踏ん張りだった、とだれもが感じていたと思います。

 

しかし試合後、森がこの試合の最も大きかったプレーとして挙げたのが相手のキックオフリターンをゴール前3ヤードで止めたタックルだったのです。

 

相手のロングゲインで自陣10ヤード以内に攻め込まれたら、たとえそこで止まっても「もうダメだ」と思ってしまうのが人情です。私もそう思いました。でもこれは森からすると「観客の目」なんです。

 

森が掲げる哲学は「あらゆる努力をし、あらゆる可能性にかけて勝利を掴む」ことです。試合の展開で何が起きるか分からない、すべてのチャンスを使って相手を倒すことです。あのゴール前3ヤードタックルがあったからこそ、その後のディフェンスの踏ん張りが生まれ、さらに逆転TDのプレーが生まれたのです。

 

森がシーズン通して教えてきたこの「勝利への執念」を最も如実に、端的に実行したのがあのタックルだったわけで、だからこそあえてこのプレーを最も大事なプレーとして取り上げ学生に強調したのだと思います。

 

森は強豪校との練習試合のあとのハドル(フィールド上でチームが集まり作戦などをシェアする場)でよく「タラレバ」の話をします。強豪校との試合はまだ負けてばかりなわけで、どんな条件が整えばこの試合は勝つことができたかという話です。一見後ろ向きの話にも聞こえます。

 

典型的昭和のアスリートである私からすれば「負けは負け、素直に認めて一から出直すのが成長の源」と思ってしまいがちです。

 

しかし、森は本気でこのタラレバを聞かせます。もちろん「うちがもっと強かったら」なんていう話はしません。ウォリアーズの今の力をきちんと発揮していればできたはずのプレー、これができていなかった場面を細かく取り上げ、これについて克明な分析をし、それができたとしたら試合の局面はどう変わっていったかという類の話です。これには説得力があります。

 

勝利を得るということがどれだけ大変なのか、どれだけの要素を積み上げていかないと届かないのかを教えるとともに、もしこれらのひとつひとつの要素を全部積み上げれば勝利に届く、つまりこちらにも勝機があるということを納得させるわけです。

 

学生がこの執念を体の中に叩き込むことができた時、ウォリアーズは一段と強くなるはずです。森の言う体技心の「心」の部分です。着任して3年目となった2019年度の春シーズン、森はそれまでの「体技」の話一辺倒から、ハドルでも「心」の話をするようになりました。それだけ体技の基礎ができてきたという判断があったかもしれません。あるいはいよいよTOP8での戦いを迎えて必要とされる「執念」の部分を教え始めるということもあったのでしょう。

 

原田泳幸の執念

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原田泳幸氏 宮崎シーガイアトライアスロンにて(当時64歳)

原田泳幸が、ベネッセのCEOを退任し、一時期社外取締役や顧問、あるいはセミナーの講師などを中心に活動するようになったころ、ある拍子に私にこんなことを漏らしたことがあります。

 

社外取締役とか顧問とかをやっていると、何度言っても分かってくれなかったり、分かっているはずなのにやらなかったり、こちらは我慢するのが大変だ。自分でボール持って走りたくなるよ。」

 

「でも、CEOをやっていた時の、あの24時間いつも何かを考えているという緊張感から解放されてみると、やっぱり内心ほっとした感じだな。あれをまたやるとなると相当なエネルギーがいるしなあ」と。

 

10年近く毎日間近にいましたが、経営者としての彼の態度や行動にブレを見たことはありません。淡々と、隙が無く、市場を分析し、人を観察し、何年か先までを頭に入れ、感情に流されず、人へのリスペクトは忘れず、会社として結果を出すことに常に集中しているのです。

 

60才でタバコやめ、毎日10kmのランニングを自分に課し、専門トレーナーをつけてトレーニングを行い、東京マラソンでは4時間ちょっとで完走し、トライアスロンにまで挑戦した、それこそ鉄の意志を持っているように見える人です。

 

そんな原田にとっても、やはりあのころのプレッシャーはすごいものがあったのでしょう。あるいは、彼自身が自分にものすごいプレッシャーをかけていたということかもしれません。経営者の仕事にゴールはなく、成長してもすぐに次の成長が求められる、山頂も踊り場もない道のりです。本気でその責任を果たそうとすれば生半可な覚悟やエネルギーでは続けていけません。

 

急成長の結果、マクドナルドは全国で16万人のパートタイムの社員を抱え、全国3,000店を超す店舗には年間延べで16億人の来客がありました。そしてそれがさらに増加しとてつもなく大きなブランドとなり、社会経済に与えるインパクトも一層大きくなっていったのです。

 

しかし順調であればそれだけ、周囲から「次は?」の期待が高まります。

 

「調子のよいときこそ変革のチャンスなんだ」と彼はいつも言っていました。経営に終着ポイントは無い。企業は常に成長することを宿命づけられている。しかも、自分たちは調子が良いと思っていても周囲はどんどん変わっていく。だから自分たちの方から先に変わらなければならない。変わるには投資がいる。だからこそ、物事が上手く行きリソースに余裕があるときにこそ次の手を打つんだという考えです。

 

しかし「言うは易く」で、現在機能している勝利の方程式を変えようと提案しても、社員はなかなか乗ってきません。必ず社内で反対や抵抗が沸き起こります。こういうとき、ふだんはあまりロジカルでない人たちほど急にロジカルになるもので、できない理由を声高に発し、下手をすると議論がうやむやなまま「とりあえず変えない。様子を見よう。」ということで落ち着いてしまったりもします。

 

しかし、原田は「できない理由はチャンスだ」と説きます。

 

できない理由がロジカルに展開されたらチャンスだというのです。どんな条件がクリアされれば実行できるのか、そこに判断の材料があるからです。おそらくクリアするには簡単でない条件が多いでしょう。みんなで寄ってたかってロジカルに防御した結果なのですから。その条件をクリアするためには多くの投資が必要になるかもしれないし、時間もかかるかもしれない。でも、その条件をクリアすればゴールにたどり着けるとしたらそれは大きな発見なのです。

 

そしてここからが本当の経営の仕事になります。リーダーシップと言えば簡単ですが、ゴリ押しすれば、チームワークに禍根を残したり、面従腹背が起きて実行段階に齟齬が出たりもします。どうやってワンチームであるべき方向に動くか、ここまで来るといかに経営が執念を持っているかにかかってくる気がします。

 

もし経営者のメッセージがただ単に「1円でも多く儲けよう」というような中身だったら社員はついてこないでしょう。しかしトップの掲げるゴールには価値があるんだと共感でき、経営者がそのゴールに向かってブレることなく執念を持って突き進んでいるのを見ていれば、社員は最後には必ずついてきます。なぜその努力をするのか、その意味がよく分かるし、自分達もそれに参加することに価値を見出せるからです。

 

言うまでもなく、経営の発想の原点として大事なのは「何ができるか」ではなく「何をすべきか」です。そして何をすべきかが明らかになったとき、経営の真価が問われます。いかに社員を夢中にさせて一緒にゴールに向かっていくことができるか。原田と一緒に仕事をして、経営の醍醐味を味わうことができました。

 

ビジネスパーソンとしての執念

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経営者に限らず、会社で働く者にとっても、執念を燃やして夢中で仕事ができればそれは楽しいはずです。

 

仕事を成し遂げようと必死でがんばりゴールにたどり着いたときの喜びは大きいし、何よりそれに至るプロセスにこそ仕事の醍醐味があります。情報を集め、頭をフル回転させ、仲間と侃々諤々の議論を交わし、関係者に頭を下げながらもこちらのペースに引きずり込み、ついにゴールに到達する。この中に自分の成長があり、仲間と成果の共有もでき、失敗の笑い話もむしろ後になれば胸に心地よく響きます。

 

しかしながら、企業のビジネスパーソンとして執念を燃やして夢中で仕事をすることに、いつの間にか「自己犠牲」とか「健康を損ねる」というようなネガティブなイメージがついてきてしまった気がします。その結果、企業の中の仕事のシーンでのワクワク感のレベルが低くなってしまったのではないかと心配です。

 

これまで何社もの企業で、さまざまな年代の人たちとコミュニケーションするチャンスがありましたが、多くの人たちが「夢中で働く」ことを求めています。若者たちも決してシラケ世代ではありません。あのゲームへの熱中度を見ればわかります。彼らは今の環境では夢中になれないと言っているだけです。

 

なぜこうなってしまったのでしょうか?

 

その原因のひとつに長時間労働とそれに伴う心身の健康問題やワークライフバランスの崩壊の問題があるようです。ここ10年ほどでしょうか、これらの問題が声高に取り上げられるようになりました。企業はこれに対処するために知恵を絞り、いろいろな対策を講じてきたはずですが、必ずしも本質的な解決には至らず、結果として、一定時刻でオフィスを閉めるとか、リモート勤務を増やすなど、まずは形だけでも導入してなんとか凌いできた部分があったのではないかと思います。

 

これに畳み掛けるように、3年ほど前からの政府の「働き方改革関連法」の動きがあり、本質的な解決策はさておいても、まずはこれら施策の指示に従わざるを得ず、結果自分たちの手足をもっと縛ってしまった感があります。

 

社員としても、仕事をきちんとしようとすると実際には長時間労働にならざるを得ない環境にいまだ置かれながら、総労働時間だけ短縮され、顔を突き合わせないと解決できない文化も根強く残っている中で在宅勤務が増えたりと、むしろ隘路に追い込まれた感すらあります。

 

こういう状況だと働くことのワクワク感は低下せざるを得ないでしょう。

 

もちろん、働きすぎによる健康被害は出してはいけないし、ワークライフバランスは社会全体の活性化のために是非とも必要です。それだけに、緊急措置だけでなく、本質的解決策が待たれるところです。

 

私は、ワクワク感低下の問題には、この「働き方改革」に加え、もっと本質的な課題もあると思っていますが、同時に、実は労働環境(働き方)の問題も、ワクワク感低下の問題も本質は同根であり、両課題を前向きに解決していくことが日本の多くの企業の活性化につながると考えています。

 

これらの具体的な解決策の案については次章「第8章リスペクト」で私見としてご紹介させていただきますが、大切なのは現場の社員がイキイキと活動できる環境を作ることです。そうした雰囲気の中で、社員自身が自分の時間を自分の意思でコントロールしながら業務ができる風土になれば、またこの風土を職場全体がコンセンサスとして受け止める環境ができれば、問題となっている多くの課題も自ずから解決するだろうと感じます。当然ながら基本的な法制度の整備が並行してなされることは必要ですが。

 

しかし、こういった企業文化の転換には相当なエネルギーが必要になります。会社という所は多くの人たちが集まり集団で物事を進めていく場ですので、どうしても社会全体が持つ価値観や行動様式の影響を強く受けます。社会で美徳と認識されている価値観を、企業の現場だからといって否定したり変更したりすることは容易ではありません。

 

このように、企業が変化しようとする時によくぶつかる「既存の価値観」の例を2つほどご紹介したいと思います。

 

■会社と社員の関係

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ある会社の取締役会でこんな経験をしたことがあります。

 

長年急成長をしてきたこの会社では、毎年2桁成長をするのが当たり前となり、いわゆる数字ありきの事業計画が毎年設定され、成長を支えるための人材育成や採用の戦略が後追いになっている状況がありました。このしわ寄せが現場に蓄積されていたのです。

 

私が「すでに現場の社員は疲弊している。将来の成長を維持するためにも、現場人材の現状を棚卸し、将来に向けての人材育成戦略を経営としてよく議論する必要がある。」と提起したのですが、本質論に入る前に「現場の社員が疲弊」という言葉が取り上げられ攻撃の的になってしまいました。

 

曰く、「経営側が自ら『現場が疲弊している』などと言ってはいけない。社員には常に会社への最大限の貢献をするよう教えなければならない。例えば事業がうまくいかず先が見えない時には、社員は土曜でも日曜でもとにかく会社に出てきて、『自分としてできることをやろう』という雰囲気を持たせることが経営として大事だ。」

 

この考え方に何人かの役員が同調し議論はあらぬ方向に進み、結局のところ、そもそもの人材育成議論はできずに終わってしまいました。

 

「それぞれの立場でやれることをやろう」というフレーズがあります。結構多くの場面で使われ、経営としては都合のよい表現ですし、このフレーズの強みは建前上は誰にも反対できないというところです。しかし、多くの社員は「まずは経営としてやるべきことやってくれないと」と思っているかもしれません。

 

実はまだまだ「社員は会社に奉仕すべき」と考えている経営者も多くいます。上記の例ほどの明確な発言は少ないものの、私自身、多くの経営者の深層心理の中にそれを見てきました。「社員の『会社のために』という思いが会社というものの一番の原動力だし、結局それは社員の幸せにもつながるはず」と。しかし、哲学的な議論はさておき、今の時代にこの考え方で皆がハッピーになる構図はどう考えても出てきません。

 

 ■ヘッドスライディング

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もうひとつ、野球での例をお話しさせてください。何度か申し上げたように、スポーツの指導と会社経営には共通項が多く、この話にも会社での働き方を考える上で面白いImplication(含蓄)があると思いますので。

 

私たちの好きな高校野球のシーンのひとつに、ファーストへのヘッドスライディングがあります。必死で、一歩でも先に、全身を投げ出してファーストベースに飛び込み、ユニフォームは泥だらけになる。感動シーンのひとつです。

 

しかし、一生懸命な気持ちに水を差す気はないのですが、ヘッドスライディングを選択することが正解なのかどうかについては疑問が残ります。

 

タッチプレーが伴う場合にはいろんな形のスライディングをトライするべきでしょう。でもファーストはフォースプレーです。少しでも早くベースにタッチすることが大事で、おまけに駆け抜けることが許されています。正確な計測は分かりませんが、専門家は駆け抜ける方が早いだろうと言います。また暴投などのエラーがあったとき、次の塁を狙うためには立った状態の方がおそらく有利でしょう。

 

それでも9回の最後の攻撃になるとなぜかヘッドスライディングが増えるのです。ひとつには選手たちの必死な気持ちがそうさせているのでしょう。気持が先に行ってしまい態勢が前のめりになって最後は倒れながらヘッドスライディングというパターンです。

 

これを私たちは「素晴らしい執念」と称えますが、試合に勝つためには少しでもセーフになる可能性の高いプレーを選ぶべきで、本当は駆け抜けるべきなのです。もし、試合の後半になって体力が落ちたため駆け抜けられず飛び込んでしまったということであれば、それは育成の失敗、チームとしての準備不足であり、試合の後半になっても前半と同じスピードで一塁を駆け抜けることのできる体力と走力を作ることが本当の「勝とうという執念」です。

 

私は、球児たちがヘッドスライディングをしてしまう深層心理に、大人たちから常日頃受けている教育やプレッシャーがある気がします。それは「一生懸命にやっていることを行動で示せ」というメッセージです。

 

スポーツ新聞の大きな見出しのフレーズには「死力を尽くして」「執念を燃やして」「倒れながらも」といった表現が踊り、読者の購買意欲をそそります。スポーツそのものは、プロであれアマチュアであれ、観客から見ればショーの要素があるので、観客側のこの気持ちに何の問題もありません。ただ、この「風土」がアマチュアスポーツの世界にも厳然として残り、指導者や関係者の気持ちをいまだに支配していることに課題があると感じます。

 

さて、翻って私たちの会社の働き方も、このファーストへのヘッドスライディングと同種同根の風土に影響を受けていると思います。お互い「頑張っていること」を見せあい示しあうことが暗黙の了解事項になっており、これが集団としての団結力や間合いの維持に大きな役割を果たしているのです。そんな中で、長時間労働をしたり、体調が悪くても出勤してくることは、実は最もわかりやすい「頑張っている」のサインになっているのかもしれません。

 

こういった旧来の「美徳」から抜け出して、会社と社員がもっとビジネスライクな信頼関係を築き、それでいて人と人とのつながりが会社のベースとなっているような、言わば社員がプロになり、その社員の心がプロとして活性化されている職場をどう作るか、そしてその中でワークライフバランスの取れた環境をどう維持するか、これからの経営者が直面する一番大きな課題です。

 

 

次週 「第8章 リスペクト」に続く

 

 

 

コメント

伊藤 宏一郎さん

2019年度 副将/QB(クォーターバック

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 森さんがヘッドコーチに就任して3年、Warriors2019のTOP8挑戦が始まりました。チーム事情を鑑みれば、TOP8リーグの中でも数校の上位校相手には戦力やプレーを温存し、下位校だけに勝ちにいくというのもひとつの選択肢でした。4年生の中にも迷いがあり、「本当に日本一を狙うのか」、「現実的な目標として信じているのか」、何度も話し合いました。

 

そんな私たちに森さんは「一戦必勝、全試合全力で勝ちに行く」と明言したのです。そしてそうするためにいかに私たちの気持ちの部分が大切であるかを強調しました。

 

これは決して根性論ではありません。アメリカンフットボールをするための体力や技術、これを上達させるための具体的、合理的なあらゆる努力をした上で、最後に大事になるのが「勝とうという気持ち」だということです。

 

新しい挑戦に「本気で挑もう」とする決心は必ずしも合理的判断で行うものではありません。同じように、最後の段階に来て高い壁を目の前にし、これをぶち壊そうと思い切り当たっていくのも決して合理的判断で動くわけではないのです。大事になるのは「気持ち」なのです。

 

私たちはそれまで2年間、森さんの指導の下、勝つための努力を毎日毎日積み重ねて来ました。そういったベースがあっただけに、森さんからの「気持ち」のメッセージはとてもスムーズに心に響いたのです。

 

2019年度のシーズンは結果的には1勝5敗に終わってしまいましたが、一戦必勝ですべての試合を勝ちに行ったことで、自分たちとTOP8との差がどこにあるのか明確に認識することができました。どのチームも強かったけれど、決して手の届かないところにいるわけでないと感じたし、通用する部分としない部分を、一年間全力で戦い抜くことで浮き彫りにすることができたと思います。そして我々のこの経験は必ず次代のチームへと引き継がれていくと思っています。

 

森さんがヘッドコーチとして東大アメリカンフットボール部に来たのは私が2年生になったばかりの時です。それまでは、「日本一を目指そう」となんとなく思ってはいたものの、「そのためにどんなQBになるべきなのか、何が正解なのか」自分の中ではわからない状況でした。そんな時にグラウンドに現れた森さんに私は飛びつき「答え」を求めようとしました。

 

しかし森さんは「自分で考えてその答えにたどり着く」ことを説いたのです。森さんは部員全員にも常に「自分で考える」ことを要求します。「アメリカンフットボールというスポーツは非常に合理的なもので、経験を積んでいけば誰が考えても同じような答えに行き着くようにできている。だからこそ真剣に考えることを繰り返し、正しい答えを得ることのできる力をつけなければだめだ」と。

 

それから、私は各プレーにおいて最善の選択は何か、まず自分で考え、その上で「森さんで答え合わせ」をするようにしました。これを続け、自分で考えることを習慣化することで、しだいに自分と目標との差を埋めるためにどのような練習が効果的かを理解できるようになり、主体的に練習を選択、実行するようになってきたのです。この習慣は自分のアメリカンフットボールの基礎になり、きっとこれからの人生の基礎にもなってくれると思います。

 

私は森さんの指導を直接受けることができた数少ない恵まれたQBの一人です。Warriorsでの経験を通じ、フットボールのことはもちろんですが、それだけではないさまざまなことを学び、人間としても成長することができたと思います。

 

アメリカンフットボールを大学で始め、Warriorsでアメリカンフットボールをすることができて、私は幸せだったと卒直に感じています。

 

Warriors は私にとってこれ以上ない学びの場であったと同時に、日々刻々の幸せを与えてくれた場でした。

 

以上。

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昨年春、ネットに載りました伊藤宏一郎(当時QB)に関する記事を
ご紹介いたします。

第6章 森オーガナイゼーション

■レベルの高いチームとしての組織化

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ウォリアーズは2019年度のシーズンで部員が190名(選手140名、スタッフ50名)を超え、これにプロ及び学生コーチやメディカルスタッフなどを加えると220名超の大所帯となりました。キャンパスも駒場(1,2年生)と本郷(3,4年生)に分かれています。このサイズの集団の規律を維持し、かつゴールに向かってチーム全体に効率的な動きを維持させるのは並大抵のことではありません。

 

そもそもフットボールは組織的なスポーツで、強くなるためには日々の練習を通して頭も心も一つのチームとしてオーガナイズしていくことが大切です。これに加え東大にはスポーツ推薦もフットボール部を持つ付属高校からの入学もなく、入学時はほぼ素人集団です。この素人集団をいかに素早く効率的に鍛え上げ、レベルの高いチームとして組織化していくか、このスピードが、私学の強豪校に肩を並べるための第一歩として欠かせない要素となります。

 

図1は森がウォリアーズの部活動をどんな仕組みで運営しているのかを表したものです。 

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図1

活動はその時間軸で大きく二つに分かれます。ひとつが日々練習の流れで、もうひとつがトレーニングやメディカル、栄養といったもう少し長い期間を要するベースの部分です。

 

練習は事前のミーティングを通じて入念に準備されます。このミーティングは森、その他のコーチ、そしてスタッフにより構成されますが、ここでスタッフが大きな役割を持ちます。スタッフ(50名)は、マネージャー、トレーナー、SA(作戦スタッフ)の3つからなりますが、彼ら、彼女らがデータの収集、分析を連日行い、ミーティングのための資料をまとめ代表者が自らミーティングに参加します。

 

このミーティングでの議論を通し綿密な練習計画が策定され、これがコーチ、スタッフの主導で練習の場で実行に移されます。練習は常に分単位で管理され、全体の流れを仕切るのがマネージャー、一方でSA(作戦担当)は各パートのその日の課題を確認しながら、選手たちに指示を出したりコーチに進言するなどしていきます。また学生トレーナーたちは練習中の選手の状況をフォローしながら、ケガ等で別メニューを進める選手を one on one で指導していきます。そしてこの練習の様子はマネージャーによりすべて動画で記録され、翌日のミーティングに活かされていきます。

 

これらの機能に加えて一昨年よりスタッフ部門としてマーケティングチームがあらたに結成され、ウォリアーズブランドの向上や企業協賛等の活動で貢献しています。

 

これらスタッフの多くが女子で、全員が東大の学生です。ずっと以前には運動部のマネージャーと言えばほんの数名で、他大学の学生の場合も多く、いわゆる部活動のお手伝いをしてもらっていた時代もありました。でも今は違います。

 

これらスタッフは正に森ヘッドコーチの右腕で、チームの頭脳であるとともに強力なエンジンとなっており、チーム力向上の重要な部分を担っているのです。その中でもマネージャーたちはスタッフ部門全体をまとめながら選手とスタッフ間のコラボレーションを統括していく、言わば組織の神経系を司る重要な役割を担っています。

 

彼らの機能をフルに活かしながら森は毎日の練習を組み立てていくわけです。ここで夏合宿での活動の例をひとつご紹介しましょう。

 

■具体例 ― 夏合宿

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2019年夏合宿

合宿ですので午前も午後も練習があり、昼や夜にはミーティングもあるという忙しい日程になります。午前中の練習も上記のように事前に作った綿密な計画に基づき分刻みで進み、その様子は逐一映像に収められていきます。

 

午前中の練習が11時過ぎに終わり、選手はシャワーを浴び昼食に入りますが、森をはじめとするコーチ陣とSAの学生たちはそのままミーティングとなります。このミーティングで特に試合形式(スクリメージ)の部分について、午前中の映像を逐一チェックします。プレーによっては何度も繰り返して見ながら、森がひとつひとつのプレーについてどんどんコメントを述べ、その内容を学生スタッフが記録していきます。全体を見終わった段階で森から総括的なコメントがありこれも記録されます。あっという間に2時間が経過し、ようやく彼らは昼食をとることができます。

 

そして昼食後、学生スタッフの責任者がオフェンス、ディフェンスに分かれ選手たちとミーティングを持ちます。先ほどの森のミーティングでのコメントのフィードバックをするためです。実際の映像を見せながらコメントの内容、その意味、背景、今後のアクションについて選手に語り、また選手からも意見が出てディスカッションとなり、これらの内容が今度は午後の練習に活かされていきます。

 

運動部というと選手のイメージばかりが先行しがちですが、現代フットボールにおけるスタッフの位置づけは一流チームとなるための必須の要件です。このスタッフの仕事を4年間経験することによる学生の成長にも素晴らしいものがあります。この組織運営はまるでひとつの企業のようであり、会社組織のミニチュア版のようにも見えます。その中でトップ(森ヘッドコーチ)の間近にいて、戦略展開上の重要な部分を担う経験は貴重で、彼ら、彼女たちの仕事ぶりを見ていると、そのまま企業に連れていって使いたくなるほどです。

 

さて、こういった毎日の積み重ねで選手たちを育成していくわけですが、一方でチーム力向上のためのベースとなる少し長いサイクルで動いていく部分があります。それがメディカル、トレーニング、栄養管理です。

 

■メディカル体制

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メディカルには2つの側面あります。ケガが起きた場合の医学的なフォローと、その後の回復プロセスへの医学的なサポートです。東大の現職医師をはじめ4名の医師がチームドクターとして登録しており、また選任のトレーナーを雇用するとともに理学療法士と契約を結びリハビリの強化を図っています。

 

試合には必ず複数のドクターが参加しケガ発生直後の対応をするとともに、その後の専門医による診断等の指示を出します。この指示に従い診断を得た後は、専門医やチームドクターの考えを元に個別のリハビリ計画を立て、担当学生トレーナーがアサインされ、計画に基づいた個別メニューを進めていきます。この学生トレーナーの知識と責任感のレベルは非常高く、選手たちも彼ら、彼女たちの指導にきちんと従っていきます。

 

かつてはケガとなれば練習を休み、グランドに足を運ばなかったり、来たとしてもじっと仲間の練習を見ているだけという時代もありました。しかし今では、ケガがあっても基本的にはグランドに来て、与えられたリハビリ計画をトレーナーの管理の下進めていくのです。

 

ケガをした場合、いつ全体練習や試合に復帰するかについてはドクターの専門的判断を仰ぎ、「大事な試合だから」とか「本人がどうしても出たがっているから」というような理由だけでコーチが決めることはしません。その中でも脳震盪、頭部外傷については特別に厳しいルールを部内で決め、日本臨床スポーツ医学会・学術委員会・脳神経外科部会の提唱する「頭部外傷10か条」を守ることを自らに課しています。

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森は父母会の席でこう発言しています、

「例えば4日後に今シーズンで最も大事な試合がある場合でも、もし4年生のエースQB(クォーターバック)に脳震盪の疑いがあり、部内ルールで4日後の試合出場がNoと判断される場合、何があってもこの選手は出しません。本人がどんなに出たいと言ってもダメです」。

 

「1年間これだけがんばってきたのに」「チームが勝つことはみんなの願いだ」「本人だって4年間この試合のために頑張ってきたようなものだ」「もしこれで負けたら本人が一番つらいはずだ」などなど、運動部関係者の胸の中にはいろんな気持ちが湧きおこってくるでしょう。だからこそ明確なルールを定め自分達を縛っていく必要があるわけです。

 

これまで学校の運動部では学生の故障に対して十分に医学的なフォローを行わず、痛みをこらえてプレーすることをむしろ礼賛する空気すらありました。これには運動部のタテ社会的プレッシャーも関わっていますが、実は運動部を取り巻くステークホルダーたちからの勝利への期待の声も同じ圧力を呼んできたと思います。スポーツだけでなく日本社会全体に「倒れるまでがんばれば許す」風土がまだ根強く残っています。高校野球の投手の球数制限がようやく話題になって来ましたが、いまだに賛否の議論をしている段階であり、学校スポーツの指導者たちには、学生の将来を第一に考えた育成方法を取り入れてもらえればありがたいと思います。

 

このメディカル体制に並ぶのがトレーニングと栄養管理です。これらについてはすでに第2章 『「心技体」ではなく「体技心」』でご紹介したとおりで、ドーム社の力強いサポートにより専門指導者による科学的、計画的な指導が行われ、すでに大きな成果が出てきています。

 

■まるで会社だ

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2020年キックオフミーティングの様子

こういった活動体制や各領域の専門家の活用は、強豪校では今や当たり前のことなのかもしれませんが、40年ぶりに部活動の現場を見た私には驚きでした。「まるで会社だ」というのが正直な印象でしたが、さらなる驚きは、形だけでなくこのウォリアーズの組織に見事に血脈が通い、スムーズに動いていたことでした。

 

実際のところ、森には苦労があったと思います。

 

彼が受け取ったチームは強豪校のレベルからはまだ遠く、部員や関係者の意識も彼の望むレベルからは距離があったはずです。

 

彼自身に実績があるとは言っても他校出身であり、ウォリアーズに多くの知り合いがいたわけではありません。ご存じのように各運動部にはそれぞれ特有の文化と風土があります。

 

しかも、当時プロコーチは実質的に彼一人であり、組織をスムーズに動かすために学生コーチ(5年生、大学院生)が大きな位置を占めていました。しかし、その学生コーチたちもそれまで森の指導を受けてきたわけでなく、「森イズム」を初日から理解できたとは到底思えません。

 

その一方で周囲の期待はいやが上にも高まります。「鳴り物入りで入ってくる有名指導者」vs.「固唾をのんで迎える学生」、こんなシチュエーションから始まった森体制です。

 

そんな中、彼は実に自然に、当たり前のことを分かりやすく語りかけ、学生たちを引き付けていきました。体制づくりが想定以上にスムーズにいった根底にあるのは、森が早々と学生との間に信頼関係を作ったことだと思います。

 

ビジネスの世界にいた私は、そこここで森に経営者の臭いを感じます。そもそも企業と運動部には類似点が沢山あります。どちらも多くの人がひとつのところに集まり、共通のゴールに向かう集団だし、それを構成する個々の人はそれぞれ違う役割を持ち、違う価値観や個人のゴールも持っています。リーダーはこういった人たちのモチベーションを高め、全体として同期を取り、リソースを最適に配分することによって効率的にゴールを目指さなければなりません。

 

学生や関係者との信頼関係を築き、体制作りをしていく上で、森が示した姿勢や行動には、優れた経営者に特徴的なそれとのオーバーラップをいくつも発見するのです。

 

  • 自らゴールを示し、説得力のあるメッセージを一貫して送る
  • 全体をいくつかのファンクションに分け、各ファンクションのリーダーの責任範囲を明確にし、実行においてはデレゲーション(権限移譲)を進め、基本的に日々の活動は彼らに任せ、彼らの判断をリスペクトする。
  • 定期的な Face to Face のコミュニケーションをルーティン化するとともに、ITシステム・ネットワークを駆使して、基本的な情報はなるべく全員で即時シェアを進める。
  • データやファクトを重視し、これらを重要な決定のベースとするとともに、決定のロジックについて関係者に分かりやすい説明をする。
  • 最適なリソース配分をすることを意識している。中でも時間というリソースに対して意識が高い。
  • すべてにおいてリーダーシップを明確に示すとともに、最終責任は自分にあることを明言している。そして、逃げない。

 

次章 「第7章 執念」に続く。

 

 

甲府方ひな子さん 2019年度 主務(スタッフの統括責任者)

コメント

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『選手もスタッフもコーチも、フットボールの下では皆平等だ。それぞれ違う役割を持っているだけで、上下関係ではない。』

 

私がこの意識を持つようになったのは、森さんがヘッドコーチに就任されてから少し経った頃でした。

 

私が2年生にあがる時、チームは新体制になりました。その頃は「新しい監督とヘッドコーチが来るらしい」といった程度の認識で、あまり深くは考えなかったものの、環境が変わることに対する漠然とした不安は感じていました。

 

しかし、徐々にその不安は消え、次第にウォリアーズのこれからに期待感を持つようになりました。そのきっかけはいくつもあったのですが、その中でも冒頭で紹介した言葉を強く意識するようになった出来事を紹介します。

 

新体制が始まったばかりの2017年の3月頃、授業の関係でマネージャーの人数が少なかった日の練習中、ビデオ撮影に使うための脚立を私は一人で運んでいました。なかなかうまくいかず手間取っていると、森さんがすっと横から来て脚立を代わりに運んでくれたのです。ヘッドコーチにこんなことをやらせてはと慌てて脚立を持ち直そうとする私に、森さんは「手が空いていたから運ぶんだ」というくらいの普通の様子でそのまま脚立を運び、特別なことをしているという雰囲気が全くなかったのです。

 

それまでは1年生だったこともあり、ヘッドコーチや監督、コーチといったいわゆる「大人」の方々は、選手・スタッフよりも「上」の遠い存在だと思っていましたが、そうではないんだと意識させる場面や出来事を積み重ねる中で、考え方は変わっていきました。

 

コーチも選手もスタッフも、勝利に向かうときのアプローチの仕方は違っていても、それぞれは「役割」であって、これらの役割が集結して強いチームを作る。だからフットボールという競技の下では皆平等であると認識するようになったのです。

 

 

ただ、森さんのメッセージをこのように理解できるようになるまでには一定の時間がかかりました。2年生の私でもそうだったので、これまで何年も違う環境にいた先輩方には尚更時間が必要だったかも知れません。

 

それでも森さんから繰り返し言葉をかけられ、それを自分自身の中で咀嚼し、周囲と意見も交わして更に考える中で、次第に自分たちのものとして体感するようになってきたのです。今年の現役は1年生から4年生まですべて森さんの指導の下でやってきた部員となります。きっと私たちよりも、更に自然に森さんのメッセージを理解し、自分たちのものとして行動していけるのだろうと思います。

 

森さんからは沢山のことを学びました。今回ご紹介した話もそのごく一部に過ぎません。これら森さんの教えのベースにある考え方が、私にとってもチームにとっても最も大きな学びです。それは「自分で考える姿勢と習慣を持つこと」です。

 

与えられたものを何も考えずに愚直にこなすのではなく、その意味を考えて実行すること。チームの勝利に貢献するためには、自分に何ができるかを考えること。これらは今では当たり前のこととして部員の心の中にあります。こうした「考える文化」がさらに深まりウォリアーズの伝統となっていく過程で、チームの水準はさらに上がり、日本一を目指せるようになるのだと思います。

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G-SHOCK プロモーションビデオのご案内

 

東大アメリカンフットボール部はCASIO(カシオ計算機株式会社)と提携し、ウォリアーズ版のG-SHOCKを制作していただいたり、G-SHOCKのプロモーションビデオ制作にご協力したりしています。今年のG-SHOCKプロモーションビデオはSA(Student Assistant:作戦担当)の学生部員にフォーカスを当てたものになりました。添付のリンクをご覧ください。

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