東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第3章 法人の設立

 ■何が起きていたか

きっかけはOBOG会の一部リーダーからの呼びかけでした。

 

60年の歴史のあるウォリアーズを本当に日本一が狙える強豪にしよう、そのためには優秀なプロの指導者と契約し、その給与や、日本一になるための活動環境づくりに投資できる資金調達力をつけていこう、という内容でした。

 

そのための初期資金として、OBOG会の有志が集まりかなりの金額を集めることができたためこの動きは始まり、森ヘッドコーチも就任し新しい体制がスタートしたのです。ところが、新しい体制がスタートしたこの段階で、これを将来的に、恒常的に支えていく財政的な計画や、運用のための仕組みがまだできていなかったのです。

 

ちょうどその頃、私が一時期セミリタイアし、次の仕事を探していたタイミングだったこともあり、先輩から「新体制の設計図書きを手伝ってくれ」と声がかかったのが足を踏み入れたきっかけでした。私自身40年間フットボールの現場から離れ、OBOG会との関わりもあまりなく、この新しい動きの内容も詳細は知らなかったので、「設計図書きだけの手伝い」のつもりで飛び込んだのです。

 

しかし、入ってみると想像以上にきびしい状況であることに気づきました。体制立ち上げのための初期の資金はかなり集まっていたものの、早晩これが底をつくことは明らかでした。「今後これだけの金額を集めていけば新体制は成り立つ」という話で進んでいても、実際に「これだけの金額」をどう集めるか、計画は無いに等しい状況でした。

 

設計図を作る使命で飛び込んだ私でしたが正直、真っ青、というより目の前が真っ暗になったのを覚えています。

 

なぜこんな状況になってしまっているのか?

 

声を最初に挙げたリーダーたちは、もちろん本気でウォリアーズを強くしようという考えですし、そのためのリーダーシップも示していました。ビジョンを示し、OBOG会に協力を訴え、組織としての了解を得て新しい体制に踏み込んだはずでした。

 

一方、すでに1,000名を超えているOBOG会の会員たちも、このビジョンや新しい動きに対して全体としてはウェルカムでした。

 

ただ、このプロセスの中に、良くも悪くもOBOG会の特質が色濃く出てしまっていたのです。

 

大学により多少の差はあっても、日本の大学運動部のOBOG会というのは独特の成り立ちや文化を持っています。会員の情熱のレベルは高く、いざとなったら一つになって協力する力は強いものがあります。しかしあくまで「任意団体」であって、ルールはしたためてはいるものの、意思決定プロセスやそれを実行する責任の所在は必ずしも明確に共有されていないのが実態です。

 

東大アメリカンフットボール部のOBOG会も、基本は皆のGoodwill(善意)で維持されています。それだからこそ60年間、OBOGであるというだけで信頼関係を維持しひとつの団体として存在し、今や1,000名を超える集団となっているのです。これは素晴らしいことです。OBOG会が現役の学生の活動を支えるために必要な存在であることに疑いはありません。

 

しかし一方で、例えば痛みを伴う改革や投資が必要な新しい活動を始めようとしたとき、その意思決定、実行のためのリーダーシップが機能しなくなり、求心力、推進力がどこかにいってしまうリスクを孕んでいます。

 

事実、東大アメリカンフットボール部OBOG会の場合でも、新体制作りの考えや、その基盤をOBOGの寄付で集めるという話は議題として総会に示されましたが、その場では誰も反対する人はいませんでした。しかし実際のところは、これにコミットした人も誰もいなかったというのが現実でした。

 

決してOBOG会員が逃げているというのではありません。彼らからしてみるとこんな大きな意思決定を今まで「OBOG会」として行った経験もなく、「なんとなく」「いつもと同じように」OBOG会リーダーの発信に「反対は無い」態度となっていたと思います。あるいは、OBOG会リーダーの発信する内容は「いずれリーダーがやってくれるものなんだろう」という意識だったかもしれません。

 

一方で、リーダーの側も「皆からの支持は得た」と考え、具体的に計画を推進するところまで踏み込んでいなかったことも事実です。

 

結果、私が参加した時点(2018年1月)では、すでに新体制が作られ動き初めている一方で、それを恒常的に支える仕組みが作られていないというよりは、まだ誰も具体的に考えていなかったという状態だったのです。

 

笑い話ですが、ちょうどそのころカラオケに行き谷村新司さんの「昴(すばる)」を耳にし、「何だ、俺のことじゃないか!」と苦笑いしたことがあります。

♬ ♫ 目を閉じて 何も見えず

    哀しくて 目を開ければ

    荒野に向かう道より

    他に見えるものはなし  ♪

 

考えれば考えるほど絶望的な気持ちでしたが、それでも何とか持ちこたえられたのには2つ理由があります。

 

ひとつは、この構想のすばらしさです。森清之という希代の名指導者を迎え、ウォリアーズが本気で日本一を目指し、その中で学生を人間として成長させていく。そのためには資金も必要だが、これまでの大学運動部の殻を破り、社会とコミュニケーションすることでトライしていく。私自身、これが実現できたらどんなに素晴らしいだろうと感じました。

 

もうひとつは、一緒にこの仕事を始めた仲間たちです。

 

森と付き合えば付き合うほど、この人を指導者として迎え入れることができたのはウォリアーズとして千載一遇のチャンスであり、このチャンスを逃してはいけないという思いが増幅していました。

 

また、監督となった三沢英生(東大ウォリアーズ1995卒/㈱ドーム取締役常務執行役員)の大学スポーツ発展のためのビジョン、チーム強化への情熱には私自身ほだされ、またドーム社の持つ様々な先進的ノウハウにも心から感銘を受けました。

 

もうひとり、小笹和洋(東大ウォリアーズ2000年卒/当時三菱商事/現在 株式会社ウカ 取締役 副社長 COO)も、忙しい本業をこなしながら、法人の立ち上げとその後の事業推進を献身的にサポートしてくれました。

 

また、そうこうするうち、こういった厳しい状況を知ったOBOG会の友人たちも次々と支持・支援を表明してくれるようになり、この仲間たちのフットボール愛、ウォリアーズ愛が私の気持ちを高め、背中を押してくれたのです。

 

ところで、「昴」も後半になると前向きの歌詞が登場します。

♫ ♪ 我も行く心の命ずるままに、、、 

ああいつの日か誰かがこの道を、、 ♬

私も後半に向けがんばらなければと心に決めました。

 

それまでの経営での経験からも、こういう絶望的な状況の時は、むしろ居直って、視野を広げ、落ち着いて「あるべき論」から入り、それが可能かどうか考え、可能でないならどうやって可能にするか徹底的に追求するか、どうしても可能でないという結論ならあきらめてしまうしかない、とにかく基本の心でやってみようという心境になりました。

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■母体を作らなければ

 

まず考えたのは、ウォリアーズの支援のためには、とにかく、どんな形であれ、自らの意思を持ち、その意思を実現するための計画と、それを全うしようという責任を取る「母体」を作らなければならないということでした。

 

新体制を運営するためには、これまでの活動費の3倍近い資金を集めなければなりません。従来の財源は学生からの部費が大半で、これにOBOG会費からの寄付を加えていました

 

しかし、これから先はOBOG会の有志からの定常的な寄付を増やすことはもちろん、これまでウォリアーズがほとんど経験したことのない企業からの協賛も募っていかねばなりませんでした。

 

またもうひとつ、これは寄付をもらう相手ではないのですが、部の活動を拡大するうえで外せないのが大学当局とのコミュニケーションです。大学からいろんな形での協力やサポートが必要になります。それまで主に学生レベルで大学との付き合いはありましたが、「部」として、あるいはその支援部隊として大学とは正式に付き合っていないに等しい状況でした。これも突っ込んでいって、開拓しなければならない領域です。

 

つまり、内向きに終始するのではなく、外に向かっていくことが喫緊の課題でした。でも、外に向かった時、相手は必ず「あなたは誰?」と聞いてくる。それに対して「私はコレコレです」と説明のできる、実体のある「母体」、自分の意思を持ち責任を取る準備のあるEntity(実体/自主独立体)を作らなければならないと考えたのです。

 

同時に、扱う金額や活動の大きさ、影響力から言って「法人格」を持つ母体を作らなければだめだ、そうしないと契約の当事者にもなれない、信用を得るためのガバナンスを維持することもできないと思うに至りました。

 

さらに、もっと重要な課題がありました。この「母体」が社会に認められ、目的どおりのパフォーマンスを出すためには、この母体を責任もって動かしている、顔と名前が明確な人物が必要になるということです。そうしないと社会においてはこの母体の信用も得られない。

 

そこで、私自身が責任者として入ることでこの法人を機能させようと覚悟を決めました。最初は短期間で設計図を描くだけと思い飛び込んだ仕事でしたが、いつの間にか「ミイラ取りがミイラ」になったとでも言いましょうか。

 

でも、正直なところ、今こうしてブログで発信している私自身はこの出会いに感謝しています。40年間ビジネスパーソンとしていろんな経験を積み、それをこんな形で若者に還元するチャンスを与えられた、むしろもう一度人間として自己実現を追求するチャンスをもらったという思いです。もしセミリタイアした時に、それまでの自分にしがみつき、それまでの延長線上で活動を続けていたら、それこそひからびたミイラになっていたかもしれません。

 

設立当初から1年半は、厳しい財政状況もあり、私自身はほぼ100%の勤務ながら無給で業務を続けました。いわゆる手弁当でした。しかし昨年の夏、あるOBからの強力な支援があり、私にも給与が支給されるようになりました。理事にも勤務状況に応じた給与を支払うことがルール化されたのです。これは法人が未来にわたって健全に支援業務を続けていくために、非常に重要なステップでした。

 

マチュアスポーツへの支援は、日本ではともすると一部の人の献身によって維持され、それが美徳とされる文化すらあります。しかし、アマチュアスポーツを推進していく上で、資金調達力や組織運営ノウハウが必要なことは間違いなく、特に学生の教育も兼ねた学生スポーツにおいては相応の経験と知識を持った「大人」がそのサポートをする必要があり、これを恒常的に維持するためには、こういった「大人」の人たちに対して相応の報酬が支払われることがとても大事です。もちろん、運営を請け負った側は自分の報酬も含めた資金調達力を発揮することが前提になりますが。

 

ちなみに、㈳東大ウォリアーズクラブでは、昨年7月より、それまでのパートタイムの社員に加えて、法人として初めてフルタイムの職員(岩田真弥)を1名雇い、給与を支払い、彼を事業推進の中心に据えています。岩田は前職ではBリーグ千葉ジェッツふなばしの集客担当の責任者をしており、また彼自身高校生の時からフットボーラーであり、アメリカのワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学んできたという人物です。

 

さてそういうわけで、とにかく「法人」のコンセプトまでたどり着き、あとは多少失敗しながらでも前に向かって全力で進むというフェーズに入りました。私の師匠である原田泳幸の言葉に「マネジメントは実行力。決定する前に実行せよ」という扇動的なフレーズがあります。まるでこれを地で行くような数か月間でした。

 

法人体制の根幹として、まずは3つの要素に絞って考えました。

  • これまでのウォリアーズのサポーターであるOBOG会、父母会、地域の人たちの力をどう結集させるか
  • 資金調達力をどうつけるか
  • サポート活動、部活動の全体のガバナンスをどう確立するか

これをもとに外部の経験者からも学び、関係者で何度も議論し、考え抜き、たどりついた結論が現在の法人という形でした。

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■法人の体制

【図1】

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法人体制の要点は以下です。

アメリカンフットボール部の位置づけは変えない

東大アメリカンフットボール部の位置づけは以前と全く変わりません。すでに(財)東京大学運動会に所属しており、また後の章でも述べますが、大学の運動部はどこも任意団体の位置づけです。ウォリアーズだけ他の運動部と違う特別な位置づけにすることは不可能と判断しました。

②支援団体としての法人の設立

これまでのサポーターであるOBOG会、父母会、地域のファンクラブが結集する形で、支援団体として法人格のある一般社団法人を設立しました。法人となることの大きな利点は外部との契約主体になれることです。これは資金調達の上でもプラスになります。また活動や組織、収支報告等について法的要件があることからガバナンスの徹底を図ることができるようになります。

③ウォリアーズから法人への業務委任

法人がウォリアーズの支援活動をすることの正統性を担保するために、両者を委任・受任の関係としました。具体的には、ウォリアーズの部長(東大工学部教授)と法人代表者の間で契約を結び、部活動における資金計画の策定と実行、経理関連業務、監督(GM)の任免、コミュニケーション業務など、練習や試合の企画・運営を除くすべての業務を法人が請け負うようになっています。

④法人のガバナンス

法人の社員は17名とし、OBOG会から14名、ファミリークラブ(父母会)から2名、ファンクラブから1名がそれぞれ選ばれ、これら社員は法人の執行役である理事(3名)の活動を管理監督します。

 

これらの中でも特に工夫をしたポイントが、「社員(代議員)の選抜方法」と「委任関係」の部分です。

 

法人の「社員」というのは株式会社で言えば「株主+取締役」に近い役割を持っており、これに対して法人の理事は企業の「執行役員」に相当する位置づけです。つまり日々の活動は理事/理事会がかなり自由度を持って展開しますが、これを管理監督及び支援するのが社員/社員総会となります。

 

したがって理事には、現場の課題をよく理解し、その活動を支援していくマインドが求められます。一方、社員は活動上のガバナンスに気を配りながらも、理事の活動を過剰に縛ったり、権威主義に陥ったりしないことが必要となります。言い換えれば、理事会も社員総会もどちらの方向にも暴走してはいけないわけで、両者が良識を保って「学生のため」というミッションを守り続けることがこの体制成功のカギになります。

 

これを実現するための仕組みとして「間接民主主義」のコンセプトを入れました。社団法人の社員には通常、関係者の中でも影響力のある人が就くことが多く、ウォリアーズのような場合ならばOBOG会の幹部がそのまま法人の社員となることが通常です。しかしこれではこれまでのOBOG会を中心としたサポート体制と変わりません。そこで、法人の自由度や自律性を高め、より柔軟な発想で現場サポートに集中できるようにするため、2つの要素を入れました。

 

ひとつはOBOG会代表だけでなく、ファミリークラブ(父母会)とファンクラブの代表を社員に入れたことです。OBOG会が14名、ファミリークラブが2名、ファンクラブが1名とOBOG会がマジョリティであることに変わりありませんが、様々なグループの代表で構成することにより、広い視点の発想ができたり、抑制均衡が利いたりという効用を期待しました。

 

ふたつ目は、それぞれの母体から任期のある「代議員」の形で選抜された人たちが社員の役を担うようにしたことです。これにより一部の人たちだけに長く権限が集中することを避けるようにしました。

 

ちなみにOBOG会、ファミリークラブ、ファンクラブを合わせると1,300名以上の集団です。これらの人たちが母体として社員の行動も見ているという構図になります。

 

またOBOG会からの社員の選抜は、OBOG会との申し合わせにより、14名がなるべく年代別に分布するよう工夫しました。

 

もうひとつ工夫したのが「部から法人への委任関係」です。

 

後の章で詳しく述べますが、日本の大学では運動部はあくまで任意団体で、「学生がやりたくてやっている」という建前であり、法人を作ったところでも、その法人がなぜサポートするのかその正当性は見えません。これまで法人を設置したところでもここはあまりクリアになっていません。

 

一方で日本では多くの大学運動部がOBOG会を最大の支援母体としていますが、運動部にもOBOG会にも法人格が無く、両者の関係もルールとして明確になっておらず、結果として混乱やガバナンスの問題を生んだりしてきました。

 

言うなれば、学生を支援している大人の側に社会としての仕組みが導入されていないのが課題なのです。大人の側が何かで揉めると、学生にそのまましわ寄せが行くことになります。 そこで、今回の法人設立にあたり、この部分をクリアにしようと両者(部と法人)の間で業務サポートの委任契約を結ぶことにしました。

 

私たちも実際のところ、今回の体制変革において学生を巻き込んでの議論はしておらず、やはり大人主導で進めたことは事実です。しかし、今後、要所々々で大人が居住まいを正し、自分たちの「拠って立つところ」が自覚できるようにこの契約を結んだのです。その根源は「学生の支援をすることがこの組織の役割」という考えです。

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■内向きから外向きへ

こうして設立した法人ですが、実際の成果を出すまでのプロセスは簡単ではありませんでした。これまであまり例のない新しい動きだけに大学や世の中が私たちを理解してくれるまで時間がかかったのです。OBOG会の中にも隠然と疑問の声がくすぶりました。

 

しかし設立から4か月ほど経過したころから外部の反応が急にポジティブに変わり、企業からの協賛が集まりだしました。大学当局も私たちの活動に理解を示し、むしろ一緒に大学スポーツの支援をやっていこうという姿勢に変わったのです。

 

世の中の大学スポーツ支援の意識にはやはり高いものがありました。またこれに加えて私たちが当初から朴訥に「学生のために」という姿勢で活動を進めたことが功を奏したようです。もし私たちに金の亡者のような姿勢であったり、現状への不満ばかりを言う態度だったらこうはいかなかった気がします。

 

見方を変えれば大学スポーツがいかに社会的存在であるかということなのでしょう。社会がこれだけの注目をしているのに、運動部側がいかに内向きになっているのか、法人という形で外に向かってみて気づきました。

 

運動部がもっと外向きになり、これを受け入れる社会インフラが整えられていくこと、これは日本の大学スポーツ興隆のための重要課題です。これを促進する役割と責任を大学が取ってくれる日が来ないか、とても待ち遠しいところです。

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1959年 関東学生アメリカンフットボール連盟に加盟

 

(次回、第4章「売った数字か売れた数字か」に続く。)

 

 

コメント

三沢英生さん 

東大アメリカンフットボール部監督/

㈱ドーム 取締役常務執行役員 CSO

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大きな話をするようですが、私が東大ウォリアーズの監督を務めているのは、それが日本再興につながると信じているからです。もちろん、OBとして純粋に応援したいと言う気持ちもありますが、それは一部に過ぎません。

 

始まりは、関西学院大学を2年連続の学生王者に導き、ライスボウルをもって勇退した鳥内秀晃監督からいただいた言葉でした。

「日本の学生フットボール界が一番盛り上がったのはいつかわかるか?京大が日本一になった1995、96年頃だ。東大が日本一になったらどうなる?それ以上の社会的影響力があり、フットボール界だけではなく大学スポーツ、そして大学自体の改革につながるはずだ」。

 

その後、縁あって自分が監督になってからは、この言葉がずっと頭から離れませんでした。私はスポーツメーカーの役員としてスポーツ産業化を各方面に訴える中で、アメリカで一大産業となっている大学スポーツの事情にも精通しているのですが、世界的リーダーが毎年のように巣立つハーバードやプリンストンUCLAスタンフォードといった名門校がスポーツに力を入れている文武両道の姿と、東大を重ねて見るようになっていったのです。

 

アメリカンフットボールはもちろん、男子バスケットボールの興行によって莫大な富を生み出し、その利益を教育現場に還元することで成長を続ける米国の名門大学の数々。そして全米大学体育協会NCAA)の仕組み。これらを学び、NCAAの成功事例をウォリアーズのチームづくりに活かし、チームが活躍すれば、社会に巨大なインパクトを与えることになるでしょう。そして大学スポーツの活性化、スポーツ産業化が一気に進むと確信しています。

 

また、これらの名門校にはNFLNBAに行けるくらいスポーツに秀でていると同時に、学業も優秀で卒業後は医師や弁護士になる、一流企業の最前線で活躍する、起業して成功を収める、といった人が少なくありません。米国にできて日本ができないわけはありません。私は、公共心に満ち溢れ、国家を背負ったり世界を牽引したりするような、そんな真のエリートをウォリアーズから次々と社会に羽ばたかせたいと強く願っています。

 

ウォリアーズの活躍が日本の大学の活性化につながり、日本中で優れた人材が輩出されることによって経済の活性化、ならびに日本再興につながる、ということになります。

 

私にとって最も幸運だったのは、優れた経営者であり最大の理解者である好本さんと、この思いを共有していただける森さんという指導者に巡り会えたことにあります。

 

エリートフットボーラーに本気で勝ちに行き、切磋琢磨することでチームのスタンダードが上がり、学生たちは人間的に大きく成長します。我々の力は彼らにはまだ及びませんが、もがき、苦しみながら高い壁を乗り越えられるよう、好本さん、森さん、そして多くの仲間たちと力を合わせ、ウォリアーズを高みに導きたいと思います。

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