東大アメリカンフットボール部ウォリアーズの軌跡   

企業経営と運動部経営― 共通するフィロソフィー

第5章 運動部は誰のもの?

■日本の大学運動部の位置づけ

大学の運動部は誰のものなのか―これは永遠の問いかも知れません。大学、学生、OBOG、父母、連盟、協会等々、大学運動部周辺には数々のステークホルダーが存在します。

 

大学に所属している運動部なのだから、まずは大学のものだろうと考える人がいるでしょう。しかし、実際はそうとは言えない現実があり、これが日本の大学スポーツの大きな課題でもあるのです。

 

日本の大学の運動部は大学の体育会に所属はしていますが、大学の視点ではあくまで学生が自分たちで集まって活動している任意団体の位置づけなのです。大学としては施設の使用権を認め、教員の中から部長を選ばせてはいるものの、活動上の責任は学生側にあり、ケガ人が出たり、万が一死亡事故があっても、施設の瑕疵等の部分を除けば大学側には責任がないというシステムになっているのです。

 

このように任意団体である運動部は法人格を持たないため、契約の当事者にもなれず、部の名前で銀行口座を持つことすらできません。便宜上の措置として、監督等の個人口座で資金の管理をするしかないのが現状です。口座名義が一応「OO大学OO部監督 XXXX」という名称になっていても、契約上はあくまで個人口座であり、残念なことにこれが不正の温床になった例もありました。

 

私学の場合には、大学の方針により部活の指導者を職員として雇用したり、スポーツ施設に政策的に大きな投資を行うところもあります。しかし部活の位置づけはあくまでも「学生がやっている任意団体」であることに変わりありません。このため、深く関わった一部の人間がガバナンス上の問題を起こしてしまうこともあるわけです。

 

一方、国公立大学では、スポーツ施設はあくまで体育教育優先です。運動部の施設のための投資に重点は置かれず、施設以外の面での補助はほとんど無いのが現状です。こうして多くの学生は安全対策もままならない環境の中で活動を余儀なくされており、万が一事故が起きてもすべて自己負担でそれを解決しているのが現状です。

 

スポーツのすばらしさや、その教育的な意義については多くの人たちが認めています。そもそも大学は研究機関であるとともに教育機関であり、次世代を担う人材を育成する場所のはずです。社会全体が「人材育成のためのスポーツ」という視点をもっと持つようになり、将来のための人材を育成し、社会の活力を向上させるという観点から社会全体で運動部を応援する仕組みができていくことを願っています。

 

実はわが東大で幹部の方々のリーダーシップの下、このような考え方に基づく先進的な取り組みが始まっています。スポーツ活動についても教育・人材育成の重要な活動と位置づけ「東大スポーツ振興基金」を設置したり、私たち㈳東大ウォリアーズクラブと協定を結び、未来社会への貢献に向け共に協力し合う関係作りを進めたりしているのです。お互い、目標は高くゴールはまだ先ですが、私たちにとっては大変有難い、頼もしい変化です。この東京大学との連携については、また別の機会に詳しくご紹介したいと思います。

東京大学HP/㈳東大ウォリアーズクラブとの協定について:

www.u-tokyo.ac.jp

 

 ■日本版NCAAの議論

 

日本全体でもこのような議論はここ数年の間にようやく盛り上がってきました。2019年3月には新たに㈳大学スポーツ協会(UNIVAS)が設立され、そこにはすでに223の大学と34の競技団体が加盟しています。

 

スポーツ庁の呼びかけもあり設立されたこの団体の設立理念は、

「大学スポーツの振興により、『卓越性を有する人材』を育成し、大学ブランドの強化及び競技力の向上を図る。以てわが国の地域・経済・社会の更なる発展に貢献する」とあります。

 

また事業内としては下記を掲げています。

・学びの環境を充実させます

・安心して競技に取り組めるようサポートします

・大学スポーツを盛り上げます

 

UNIVAS設立にあたって一貫して掲げられてきたのが「日本版NCAAを作ろう」というビジョンでした。ご存じの方も多いと思いますが、NCAAとは全米体育協会(National Collegiate Athlete Association)のことで、1906年に前身の団体として設立ですので、既に100年以上の歴史があり、全米の大学スポーツを束ねる組織です。

 

日本の大学スポーツのあるべき姿を追う上で、「大学スポーツ先進国」であるアメリカのシステムに習っていくことはひとつの道であり、私自身も、NCAAがこれまで構築してきたすばらしいシステムの中に、今の日本の大学スポーツの課題解決の鍵が沢山あると信じています。

 

しかし、ここで気を付けたいのは、NCAAの一つの特徴である「スポーツ産業との連携」の部分が強調されがちであること、そしてそのために、日本の大学スポーツがまず第一に取り入れるべきNCAAの本質の部分が後回しになるリスクがあるということです。

 

確かに我々がメディアを通じて見るアメリカの大学スポーツは、いかにもしっかりした経済的基盤の上にあり、潤沢な資金によって素晴らしい環境が学生に与えられているように見えます。これは間違いのない事実で、日本も究極このレベルに行きたいところです。

 

ただ、NCAAがいろいろと課題を抱えながら100年以上も成長を続けてきた根源にあるのはむしろ「大学スポーツは大学教育の一環であり、各大学はスポーツ教育に自ら責任を持つ」というフィロソフィなのです。日本の「部活動は学生が自分たちで集まってやっている」という定義とは対極にあります。

 

これが基本ですから、NCAAは加盟大学に「安全対策を含めたスポーツ環境の維持・向上のため必要な投資を行う」ことを求めます。また教育の一環と位置付けるからこそ、学生に対しては「スポーツと学業の両立」を求め、もし学生が一定以下の学業成績になった場合はNCAA主催の試合には出場停止となります。

 

しかしながら各大学が「安全対策を含めたスポーツ環境の維持・向上のため必要な投資を行う」ことは決してたやすいことではありません。NCAAがメディアを含むスポーツ産業との連携を進めた理由のひとつがこの投資のための資金を調達することでした。各大学とNCAAは協力し、大学スポーツの持つ価値を活用し、そのイベント等を通して様々な形で市場から収入を得る工夫をしてきました。この収入の多くの部分は加盟する大学のスポーツ環境向上のために費やされることになるのです。

 

こうした投資を進めることで大学のスポーツがますます興隆し、優れたアスリートが集まり、そのブランド価値が上がり、さらにそれが収入に結び付くというポジティブな循環を作ってきたのがNCAAです。またこの活動は結果として大学のブランディングの向上や学生のプライド・帰属意識の向上にも大きく貢献しています。

 

NCAAにはもうひとつ特徴があります。それは、NCAAに加盟しているのは、あくまでこのNCAAの考え方に共感した大学だけだということです。NCAAには1,200近くの大学が加盟しており、競技数で23、学生数で46万人という巨大な団体ですが、それでもすべてではありません。大学の中には「学業中心」「研究中心」の位置づけを選びNCAAには参加していないところも数多くあるのです。

 

ですので、「NCAAが加盟大学にスポーツを大学教育の一環とすることを求める」というよりも、本質は「スポーツを大学教育の一環とする大学が自主的に集まってNCAAを作っている」と言うのが正しいでしょう。NCAAはあくまでサポート役なのです。だからこそ100年にわたり、いろんな苦難を超えつつ、一貫したフィロソフィを維持してきたのだと思います。

 

今のNCAAの形をそのままということはないにしても、日本にもしこのような考え方が導入されるのであればとてもうれしいことです。ただ、その道のりは簡単ではない気がします。

 

さきほどUNIVAS(㈳大学スポーツ協会)にすでに223大学が参加しているとご紹介しましたが、それぞれの大学がNCAAの掲げるような「スポーツを大学教育の一環として認める」という体制に移行しなければなりません。しかし、個々の大学にとってこれは経営理念上の根源的な変更であり、また相当なレベルの投資を今後恒常的に行う覚悟を持たなければならないディシジョンでもあります。

 

この投資は物理的な環境に対してだけではありません。大学が毎年責任持ってスポーツ教育を進めていくためには、それを担当する組織を作り、人的な投資も行わなければならず、毎年ランニングコストが発生することになります。決して少額の投資ではありません。

 

もうひとつ乗り越えなければならない課題が、すでに加盟している34の競技団体とUNIVASとの関係です。上記に述べました各大学の経済的負担を考えても、UNIVASがリーダーシップを発揮してNCAA的な資金調達能力をつけていくことが必須かと考えますが、これはその内容からいって、既存の競技団体と相当に綿密な話し合いが必要なプロセスになります。日本の大学スポーツ興隆のためという一点においてぜひ大同団結をしていただきたいところです。

 

いずれにしても、社会が動き大学スポーツの環境を改善することは喫緊の課題ですので、UNIVASがそのリーダーシップを発揮されることを心より願っています。

f:id:tokyowarriors:20200225132047j:plain

 

■運動部はOBOG会のものか?

UNIVASの動きはあるものの、大学スポーツの現場環境はまだ以前のままです。こんな背景の中、日本の大学スポーツでは、OBOGがその活動を、資金面、人材面で支えてきました。OBOG会費やOBOG個人の寄付が主要な収入源である運動部はまだ多く、また人材面でもOBOGの誰かが、手弁当で、あるいは人生を賭して指導にあたるというプラクティスがいまだに主流です。

 

その一方で、運動部の厳しい上下の序列はOBOG会の中でもそのまま続き、一部の声の大きいOBOGに逆らえない空気が出てきます。こうなると部活動は現実OBOG会の管理下に位置づけられ、OBOG会の意思で、あるいは一部力のあるOBOGの考えで活動方針や監督人事も決まるということになってしまいます。

 

OBOGが自分の出身運動部に対して持っている思い入れはすごいものがあります。この情熱は大事で、現実はこれが現役の部活動を支えている大きな力です。けれども、自戒も込めて言えば、OBOGはここで踏みとどまらなければなりません。時代は推移し、今の学生が今の空気の中でスポーツに勤しんでいるのです。スポーツが人を育てるとすれば、それは今の若者に合う環境の中で進められるべきです。現代の学生が現代の空気の中ですくすくと育っているのを見ることができる、これがOBOGが味わうことのできる最高の喜びと考えるべきだと思います。

 

それではどうやって若者の活動を支えていくのか?ウォリアーズが選択した「支援部隊としての法人」の形は、まだまだ完成度は低いですが、これに対するひとつの答えだと思います。「情熱を持ったOBOG会」はそのまま存続して、現役チームのスピリチャルな拠り所として機能し、一方で法人格を持った支援部隊が、関係者や社会との関わりの中でガバナンス、資金調達を進める。そして関係者が集まり、この法人の管理監督を一定のルールを作って進めていくという考えです。

f:id:tokyowarriors:20200225132133j:plain

 

■学生のため 

今回の体制変革で、部員の父兄からなる「ファミリークラブ」を正式に立ち上げました。「ファミリークラブ」は部員の家族の交流や連携を深め、部員の活動を応援していくことを目的にしています。2019 年度のシーズンで部員が190名を越えるウォリアーズでは「ファミリークラブ」会員も300名を越えています。

 

今の学生たちと親御さんとの距離はとても近いようです。数十年前では考えられないことですが、学生は大学での授業や部活のことをよく家族に話します。家族の方々も熱心に応援してくれて、試合にも大勢が足を運んでくれます。年に数回行う父兄の集まりには全国から参加があり、部活動の内容や安全対策、栄養管理など幅広い項目で熱心な議論になります。

 

この熱心さが、新しい体制を作り、それをドライブする上でどれだけ支えとなったかわかりません。同時に、この親御さんたちの気持ちに接して、私たちの拠って立つべき原点に気づかされました。それは「この子たちにすくすくと育ってほしい」と思う純粋な親心です。

 

これこそ私たち「サポーター」が学生に向けるべき視線なのだと感じました。部活動は「誰のものか」ではなく「何のためか」というところに戻るべきだと気づかされたのです。そして何の疑いもなくそれは「学生のため」なのです。

 

スポーツから多くを学んだ学生が社会に出て活躍する、これは社会の将来にとって素晴らしいことです。だからこそ学生がもっと伸び伸びとスポーツに打ち込める環境を作るべきであり、そこで成長した学生が社会に出ることで社会がさらに発展する、いわば将来への投資です。

 

私自身、学生時代にフットボールを経験したことで自分のビジネスパーソンとしての人生をエンジョイできたと思っています。

 

自分の心の中には常に「自分はウォリアーズだ」というアイデンティティがあり、それが自分の拠り所となりました。体と心の中に蓄えられたエネルギーは社会に出たあと、何度も自分を救ってくれました。また、フットボールによって素晴らしい仲間を得ることもできました。どれもが人生を前向きに、エンジョイしながら進む原動力となりました。この法人の仕事を引き受けたのも、フットボールへの感謝、フットボールへの恩返しの気持ちからでした。

 

しかし、今の日本の仕組みでは、十分なスポーツの環境が学生には与えられていません。学生だけでがんばってそれを得ようとしても不可能です。だから、大学やひいては社会がもっと学生に手を差し伸べよりよい環境を提供するべきです。

 

これまでの大学スポーツのステークホルダーには「社会」というプレーヤーが入っていなかったように思います。ステークホルダーとして社会全体でこの機運が盛り上がってほしいと願っています。

f:id:tokyowarriors:20200225132217j:plain

 

次章 第6章 森オーガナイゼーション に続く

 

 

コメント

加藤 政徳さん

2018年度ファミリークラブ(父母会)会長(初代)/㈳東大ウォリアーズクラブ代議員

f:id:tokyowarriors:20200225132442j:plain

「彼らは、一生懸命に自分の役割を果たしているのだから、学生に文句を言わないでください!文句なら私に言ってください。」

 

昨年の、ある試合会場でいつもは穏やかな好本さんが試合を観戦に来られたお客様に強くお願いをしておられた。この光景に私はえらく感動しました。

 

学生アメフトのフィールドは学生の人間教育の場である。大人が自分の不平不満を学生にぶつけてどうする。頑張っている学生達の成長を温かい目で見守ってほしい。好本さんの背中からはそんなメッセージが発信されていました。

 

「日本一になれる可能性のある部活だから」「このチームのメンバーと4年間を共にしたいから」確か、そんな理由で息子は東大ウォリアーズでアメフトを始めました。東大がスポーツで日本一になるのは並大抵の事ではない。たくさんの仲間と苦楽を共にしながら、大きな目標に向かって行く中で必ず自分も成長できる、そう思うと、きっと心がワクワクしたのだと思います。その息子のお陰で、私はこんなにも素晴らしいスポーツと出会うことができました。そして最終学年の時には法人化という大きな転機に関わらせていただくことができました。

 

保護者の方々とご一緒させていただいて最も強く感じたことは、ファミリークラブは学生達を見守る「美しい空気」を自然に作り出しているということです。保護者の一番の願いは、安全です。怪我をしないでほしい、毎日元気に頑張って欲しい、そういう思いで応援しています。

 

そして、次の願いは、人間としての成長です。自分の置かれた立場で、チームのため、皆のために、必死になって努力を続け、アメフトを通じて、人として成長してほしい。ただアメフトが上手くなって、試合で勝ってほしいだけではない。この不確実で、我々の頃とは全く違う難しい社会のお役に立てる強く逞しい人間に育ってほしい。

 

体と技は引退すれば自然に少しずつ低下してくるでしょう。しかし心だけは引退後もずっと成長し続けられる。その心の中心になるものをアメフトを通じて自分なりに掴み取ってきてほしい。いわば「成長の要諦」のようなものです。

 

例えば、平凡で当たり前の事を、徹底的に繰り返し、いかなる状況の中でもそれを出来るようにする。そう言った小さな努力の積み重ねでしか心は磨けないんだということ。感謝や協力を忘れるとチームワークが途端に弱くなる。どんなに強くても勝負に負けることもある、だからいつでも感謝を忘れてはいけないのだということ、などです。

 

法人化されて、組織力が上がった事で、ウォリアーズは保護者の願う方向へ進んでいると思います。後はメンバーひとりひとりの心次第です。

 

ファミリークラブの保護者の方々は皆、チームに関わる全ての人に対して、尊敬と愛情を持っています。対戦する相手チームの選手に対しても、その素晴らしいプレーには思わず拍手をしたり、負傷者がでると敵味方関係なく皆で心を痛めていたりしました。自分の子供のことだけでなく関係する皆のこと、チーム全体のこと、相手チームのことまで心配をしています。そう言った美しい空気に包まれて、チームを応援出来たことで、我々保護者もアメフトから、ウォリアーズからたくさんのことを教えていただきました。

f:id:tokyowarriors:20200225132531j:plain

2018年度4年生と保護者の集合写真